<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163</id><updated>2012-02-16T11:29:37.039-08:00</updated><category term='アイディア'/><category term='ことわざ'/><category term='語源'/><category term='新語'/><category term='口語表現'/><category term='訳語'/><category term='読み方'/><category term='類義語'/><category term='語彙'/><category term='言い回し'/><category term='文法'/><category term='どうでもいいこと'/><title type='text'>フランス語重箱読み</title><subtitle type='html'>わざわざ重箱の隅をつつくようなまねはしない。&lt;br&gt;しかし重箱には隅があることをいかにして否定できようか。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>35</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-2336590315221245211</id><published>2009-04-06T11:36:00.001-07:00</published><updated>2009-04-06T11:36:43.929-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='どうでもいいこと'/><title type='text'>どれにしようかな</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　日本の子供が複数の選択肢を前にして、「まあいいや」といい加減に決めるときに、「どれにしようかな、神様の云うとおり」とか「天神様の云うとおり」なんて云って選ぶことがあります。フランスにもそういう一種の「数え唄」のヴァリエイションのようなものはあるのでしょうか。&lt;br/&gt;　あります。しかしフランス語ではありません。フランス語ではないからといって何語なのかはよくわかりません。「歌詞」は次のようなものです。&lt;br/&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;i&gt;Ams, tram, gram,&lt;br/&gt;Pic et pic et colégram,&lt;br/&gt;Bour et bour et ratatam,&lt;br/&gt;Ams, tram, gram...&lt;br/&gt;&lt;/i&gt;&lt;/blockquote&gt;　4行目は1行目の繰り返しで、この3行を延々と繰り返すことができます。参考までにだいたいのかたかなを記しておくと、「アムス、トラム、グラム。ピケピケコレグラム。ブーレブーレラタタム。アムス、トラム、グラム…」というような感じです。&lt;br/&gt;　もともとはドイツ語からきているとかスカンジナヴィア起源であるとかいろいろな説がありますが、まあ、おそらくまゆつばものですね。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;div class='zemanta-pixie'&gt;&lt;img src='http://img.zemanta.com/pixy.gif?x-id=73fef418-e7cc-8135-bd13-7a4f1606efc5' class='zemanta-pixie-img'/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-2336590315221245211?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/2336590315221245211/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=2336590315221245211' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2336590315221245211'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2336590315221245211'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2009/04/blog-post.html' title='どれにしようかな'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-2667505976260881902</id><published>2009-01-08T17:50:00.001-08:00</published><updated>2009-01-08T17:50:14.132-08:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='語彙'/><title type='text'>鳩はフランス語で</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　何でもないようなことでも、よく考えてみると不思議なことがよくあります。フランス語では、「鳩」を意味する単語に pigeon と colombe がありますが、さて、このふたつの単語は同じ「鳩」のことを云っているのでしょうか、それともちがうものを意味しているのでしょうか。&lt;br/&gt;　答えは単純で、これはちがうものです。Pigeon は鳥の「鳩」を意味する普通の単語ですが、colombe の方は「平和の象徴」である、一般には白い鳩のことです。聖書からの引用、あるいは聖書の模倣として用いられるといいます。Pigeon は総括的にあらゆる種類の鳩を意味しえますが、この単語は比喩的に「だまされやすいお人好し」、つまり日本語では「カモ」にあたるものも意味します。だから政治における「タカ派(faucons)」、「ハト派」の「ハト派」は pigeon ではなくて colombe でなければなりません。素直な「ハト派」が pigeons なら大笑いです。Plumer le pigeon という表現は「鳩の羽をむしる」、すなわち「カモを身ぐるみ剝がす」です。&lt;br/&gt;　類義語としてもうひとつ tourtereau があります。これは辞書を引くと「キジバト」と書いてあります。しかしこの単語でイメージ検索をかけても、ほとんど鳥の写真が出てきません。これを tourterelle と変えると鳥が出てきます。Tourterelle は「若い tourtereau」ということになっています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img src='http://ecoleslanoy.free.fr/Annee06_07/exposes/photos/tourterelle0.jpg' style='max-width: 800px;'/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　それでも、tourtereau の方では鳥の絵が出てこないということは、この単語は比喩的な意味でとらえられることの方が多いということを意味しています。この単語はしばしば複数形 tourtereaux で「仲むつまじいカップル」、つまり「おしどり夫婦」を意味します。フランス語では「鳩」であるものが日本語では「カモ」であるのと同様、この場合は比喩的表現において、日本語では「オシドリ」であるものがフランス語では「キジバト」なのです。&lt;br/&gt;　動物の名前は一般にむずかしいということが云えます。例えば今年は「丑年」ですが、これはフランス語で何と云うのでしょうか。「牛」を意味する単語には、たとえば bœuf, vache, taureau などがありますが、どの単語を用いるべきでしょう。&lt;br/&gt;　結構 l'année du buffle と云う場合が多いようです。「水牛年」ですね。フランスではこういった干支は中国のものと考えられています。だから日本の「丑年」は「水牛年」ではないぞ、と主張することもできるかもしれません。L'année du bœuf という言い方もありますが、どうもピンときません。フランスでは干支占いのことを「中国風占星術」(astrologie chinoise)と云いますが、こういったことをフランスでは最近云いはじめたので、まだひとつの言い方が定着していないということが云えるでしょう。私は何となく日本の年賀状のイメージが頭を離れなかったので l'année de vache と云うものかと思っていたのですが、この単語には「意地悪」の意味があるので、こうは云わないのかもしれません。Une année vache と云うと、「ひどい一年」になります。日本の新年について l'année de la vache と書いているものが、ごくごく少数ながら見受けられます。&lt;br/&gt;　一方「西洋占星術」の「牡牛座」は taureau で、変わることがありません。フランス語では、「双子座」が gémeaux （jumeaux ではない）で複数形であるのは単純に理解できることですが、「魚座」も poissons で複数形なので気をつけましょう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-2667505976260881902?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/2667505976260881902/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=2667505976260881902' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2667505976260881902'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2667505976260881902'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2009/01/blog-post_08.html' title='鳩はフランス語で'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-8310818860325883417</id><published>2009-01-01T18:30:00.000-08:00</published><updated>2009-01-01T18:31:17.776-08:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文法'/><title type='text'>年末年始のお祝いに</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　よく聞くことばだが、生半可な知識でしかないものに、「フランス語では必ず冠詞をつける」というものがあります。これは非常に困ったかんちがいであります。そんなフランス語を話していると、「まったく、どこにでも冠詞をつけてればいいと思ってんじゃないよ」とフランス人にあきれられることになります。&lt;br/&gt;　たとえば、年末のクリスマスなどの時期にお祝いを云うときには、Bonnes fêtes de fin d'année と云います。だれも Bonnes fêtes de la fin de l'année なんてくどくどしいことは云いません。そんなことを云うのは生半可な日本人だけです。これは「年の終わりの…」と云えばいいところを、「この年のこの終わりの…」と云っているのだから、実に聞きづらいわけです。&lt;br/&gt;　どこに冠詞をつければいいかどうかという問題は、しばしばフランス人にとってもむずかしいことです。それでも決まった言い回しは滅多に変わらないということを理解しなければなりません。&lt;br/&gt;　失恋（の痛手）のことを Chagrin d'amour と云います。これを何となく「変えてみようかな」と考えて Chagrin de l'amour と云うことはできません。「できません」ですませてしまえばいいのですが、どうしてこれができないのかと頭を悩ませるひともなかにはいるでしょう。その理由のもっとも大きなものは、「冠詞をつけると理解がむずかしい」というものです。いつも冠詞をつけない表現にあえて冠詞をつけているのだから、その冠詞がどのような意図によってつけられたものであるのかを聞き手は理解しようとしなければなりません。まずここで聞き手に無駄な労力が強いられることになります。&lt;br/&gt;　この冠詞が指示の機能をもっているとすれば、これは「この愛の痛み」ということになるでしょう。この場合、この chagrin de l'amour という表現は、他の失恋ではなくて、まさに「この恋」だけにともなう痛みのことを云っているのだということになります。これは本人にしかわからないことであるから、依然として理解がむずかしいということが云えます。もっともこれは「どうしてつけなくてもいいところに冠詞がついているのか」ということから考えはじめたものですから、そもそもこの解釈が合っているとかおかしいとかいうような性質のものではありません。&lt;br/&gt;　もしこの冠詞が一般的な愛のことを意味しているのであれば、この chagrin de l'amour という表現は愛というものに必然的にともなう痛みを意味することになります。「愛のもっている悲しみ」ということです。もちろんそのような考え方をすることはできますが、一般的には、失恋ということばはそのようなことを云っているのではありません。愛には喜びも痛みもさまざまあるけれども、chagrin d'amour という決まった言い回しは、その痛みの方を云っているのです。&lt;br/&gt;　決まった表現が存在する場合には、何も頭を悩ませないで決まった表現を用いていればいいのですが、作家がどのような意図から冠詞を用いているのか、あるいは用いていないのかという問題は、ときに熟考を要求することになります。（あくまで「ときに」です。いつもこんなことを考えていたら読みすすむことができません。）&lt;br/&gt;　サド侯爵に &lt;i&gt;Les Crimes de l'amour&lt;/i&gt; という短編集があります。これを『恋の罪』と訳したひとがいます。しかし恋にともなうこともあれば、ともなわないこともある「恋の罪」ということを云いたいのであれば、Les Crimes d'amour で十分でしょう。なぜここに冠詞がついているのかと考えてみると、これは「愛に必然的にともなう罪」のことを意味しているのだと理解すべきだということになるでしょう。私であれば、『愛という名の罪』と訳すところですが、しかしこれは &lt;i&gt;Les Crimes de l'amour&lt;/i&gt; ということばが「愛という名の罪」という日本語に相当するのだということを云っているではありません。ただ、この「愛という名の罪」ということばが、「愛のもっている罪」という原題の意味に近いのではないかと私は考えるのです。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-8310818860325883417?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/8310818860325883417/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=8310818860325883417' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8310818860325883417'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8310818860325883417'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2009/01/blog-post.html' title='年末年始のお祝いに'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' 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pascalien)という表現があります。たとえばむかしの「国境なき医師団」の代表で、現在は「飢餓と闘う会」で活躍し、小説を書いてゴンクール賞もとったロニー・ブローマンはナチスドイツの「ユダヤ人問題専門」であったアイヒマンの裁判記録を編集したドキュメンタリー『ある専門家』という自らが制作した映画について、「これはパスカル的な賭けである」ということを云っていました。アイヒマンは裁判において「私はただ命令に従っただけである」ということを主張しました。「もしそれが本当だったとしたらどうなのか」という仮定をブローマンが信じようとしたということを、この「パスカル的な賭け」ということばは意味しています。もちろん彼はハンナ・アーレントの本『イェルサレムのアイヒマン』を念頭に置いてこのようなことを云っているのですが、「アイヒマンは確かに命令に従っただけだったのかもしれないが、命令に従ったがゆえに有罪である」という単純な結論にブローマンが達してしまったのは残念なことだった」と思います。&lt;br/&gt;　多くの正義漢はこう云います。「ナチスドイツ時代にすべてのドイツ人がナチス政府を支持していたというのは嘘だ。この制度と闘ったドイツ人がかなりの数いたのだ」と。しかしそのような倫理的な強度をすべてのひとに求めるのはどういうものかと思います。平凡な人間にとっては、命令に従っている方が抵抗するよりもずっと楽であるようなときに、その命令が倫理に反するものであるからといって、抵抗しないで命令に従ったのが罪であるとすることができるものでしょうか。法制度とは決してまったく融通の効かないものではないとはしても、第三帝国の役人であったアイヒマンがイスラエルで死刑になったことについては、私は首をかしげざるをえません。「アイヒマンは弱かった」ということは事実でしょう。しかし弱かったからと云って死刑に値するものでしょうか。あまりに多くのユダヤ人が無意味に虐殺されたことに落とし前をつけるために、この死刑が必要だったということなのでしょうか。アーレントは「凡庸な悪」ということを云いました。悪の芽が多くの人間のなかに巣喰っているのです。しかし私ならむしろ「凡庸の悪」と云うでしょう。凡庸であることが悪なのです。これからは、凡庸な人間がより少なくなってゆくような教育が必要とされることになるでしょう。&lt;br/&gt;　話がそれました。この「パスカル的な賭け」というのはどのようなものでしょうか。私はパスカルの思想を語るつもりはありません。そのつもりもないし、このフランス語の表現を理解するためには、その必要もないというのが、この記事の趣旨です。そもそも私にはその能力がありません。&lt;br/&gt;　キリスト教は、死後も魂が生き延びるということを想定します。神を信じないものは、死後の生などというものは存在するはずがないのだから、死後の生のために宗教の規律を厳格に守るのはばかげたことだと考えます。「パスカルの賭け」とは、もし死後の生が存在しないのだとしたら、私が生きている間に死後の生を信じて自らを律したとしても、そのために死後に何も失うものはないのだから、あえて死後の生が存在する方に賭けてみようと考えるということです。無神論者にとっては、きわめて論理的な思考が可能であるような人間にどうして神のようなわけのわからないものが信じられるのかしばしば疑問ですが、「パスカルの賭け」は知性的な人間の信仰を説明することが可能なものです。&lt;br/&gt;　現代フランス語で pari pascalien という言い回しを使うひとは、「まったく信じられない嘘であるとみえることを、身を賭してあえて信じてみよう」という決意を表明しているのです。「みんなにはどうして私がこんなたわごとを信じるのかわからないだろうけれども、私はあえて信じてみる」ということをこの言い回しは意味しています。&lt;br/&gt;　この「パスカルの賭け」という表現は、それでもかなり気どった知的なものです。まだその表現の元の意味を保持しているということが云えます。しかし「コルネイユ的選択」(choix cornélien)の方は元の意味が忘れられかけていると考えることができます。&lt;br/&gt;　テレビでもラジオでも、クイズ番組でこの言い回しをよく耳にします。ここでやめたら賞金をもちかえられるけれども、次のクイズに答えたら賞金が二倍になる、しかしもしまちがえたら賞金を失うことになる、というような場合に、「コルネイユ的選択」が問題になります。最初に云いましたが、何も「さすがフランス人、こんなときにも文学が問題になるのだ！」というようなものではないのです。それは日本人が弁慶の泣きどころが痛いと云っているときに、「さすが日本人、このような場合にも歴史に言及するのだ！」と感心するようなものです。&lt;br/&gt;　「コルネイユ的選択」は今やほぼ「むずかしい選択」の意味でしか用いられませんが、本来は「しなければならない選択について、義務と心情に引き裂かれる状態」を意味しています。心情としては愛するひととともにとどまりたいが、義務のために戦地におもむかなければならない、というようなものです。義務に対して心情が優位をもつ選択がありうるというあたり、典型的な日本人には少し理解がむずかしいかもしれませんね。&lt;br/&gt;　クイズ番組で「ここでやめておいた方がいいのかなあ、でもどうにも後ろ髪をひかれる思いだ」というような場合に「コルネイユ的選択」の話をするのは、本来であればちゃんちゃらおかしいのですが、かなり頻繁に耳にする表現です。それでもこれが「義務と心情に引き裂かれる選択」であるという定義は、みんな「話すときには忘れていても、知識としてはもっている」ので、「この場合、いったい何が義務で何が心情なんだよ！」と聞けば、きっと答えてくれるかとは思いますが、たぶん言いわけがましいことしか聞けないでしょう。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7907787405373079272?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7907787405373079272/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7907787405373079272' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7907787405373079272'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7907787405373079272'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/12/blog-post.html' title='コルネイユ的選択'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' 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はといえばこれです。&lt;br/&gt;&lt;img src='http://school.discoveryeducation.com/clipart/images/stalagmite.gif' style='max-width: 800px;'/&gt;&lt;br/&gt;　日本語では「石筍」（せきじゅん）といいます。Stalactite と stalagmite は対になったことばですが、日本語で「石筍」の反対語の対になることばは何というのでしょうか。これは「日本人は知らない」というよりも、「日本語には存在しない」ものなのかもしれません。地質学の用語はあるのでしょうか。&lt;br/&gt;　これは「フランス人は子供でも知っている」というよりは、大人になるとどっちがどっちだかわからなくなる、といったたぐいのものかもしれません&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-6892640039621573884?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/6892640039621573884/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=6892640039621573884' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6892640039621573884'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6892640039621573884'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/11/blog-post_16.html' title='石筍の反対は？'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-705146550213041515</id><published>2008-11-12T02:25:00.001-08:00</published><updated>2008-11-12T02:38:25.508-08:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='口語表現'/><title type='text'>きみは愛だ</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;見た目は何ということのない表現でも、いざ日本語にしようとすると、はたと困ってしまうことがあります。&lt;br/&gt;　たとえば、Tu es un amour。これはどう訳したものでしょうか。&lt;br/&gt;&lt;div align='justify'&gt;　Wordreference.com の&lt;a href='http://forum.wordreference.com/showthread.php?t=298549'&gt;フォーラム&lt;/a&gt;でこのことばの英訳について議論されています。スレッドを立ち上げたフランス人は、you're lovely じゃないし、you're a love も奇妙だと云っています。なかにはフランス語が母語のひとが you're a sweetheart の意味だと云っていたりと、ちょっと首を傾げるところもあります。これはどう考えても sweetheart という意味ではありません。ここで英訳として提案されているものでは、私は you're adorable をとります。Sweetheart じゃなくて、ここには書いていないけれども、 you're (so) sweet だといいんじゃないかな。（Wordreference.com は結構仏英・英仏のオンライン辞書サーヴィスが役に立ちます。）&lt;br/&gt;　英語だと you're adorable でいいのではないかと思うのですが、日本語にするとなるとどうなるでしょう。私もこのことばを云われたことがありますが、それは気前よく手伝いをしたときなどです。おそらく相手がその手伝いを期待していなかったときに云うものでしょう。「ありがとう」と同じものではありませんが、雰囲気で云うと「本当にいいひとね」という感じではないでしょうか。私は成年の女性にしか云われたことがありませんが、成年の男性同士で云うことばではないと思います。たぶん女性同士では可能ではないのかという気がします。私は女性でも自分より年上か同年代のひとによくこのことばを云われたような気がしますが、この表現を可能にする年齢関係などもかなり微妙かもしれません。「これはいい表現だ」と日本人が喜んで真似をするにはリスクが大きい表現だと思います。&lt;br/&gt;　他にはどのような場合に云われるかというと、例えば子供が学芸会でお芝居などした後で、親が子供に対して云うかもしれません。この場合は「すばらしかった」「とってもよかったよ」ということでしょう。どちらにしろ、「この表現の訳はこれです」というようなものは見つかりません。よく考えてみると、英語では you're sweet がいちばんいいような気がするので、だいたいそんな感じだと考えてみるといいと思います。&lt;br/&gt;　こういう表現は、見た目だけは初歩の初歩のフランス語ですが、「きみは愛だ」と訳してもまったく逃げにさえならないので気をつけましょう。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-705146550213041515?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/705146550213041515/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=705146550213041515' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/705146550213041515'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/705146550213041515'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/11/blog-post_12.html' title='きみは愛だ'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' 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は、しばしばヌード写真です。ヌード写真でも、芸術的な価値が高い（とされる）ものではなく、男性雑誌に載っているような興味本位の写真を考えるべきでしょう。かといってこういった「ヌード写真」(photo de nu)がいつも photo olé olé と呼ばれるわけではなくて、ぼかした口語表現のひとつです。（男性向けの女性の写真でソフトなものは photos de charme といいます。）&lt;br/&gt;　この olé olé という単語の訳としては、「エッチ」「下品」「挑発的」「煽情的」などが考えられるでしょう。&lt;br/&gt;　フランス語の Wiktionnaire にはふたつ例文が載っています。&lt;br/&gt;&lt;blockquote&gt;Pris de boisson, il se mit à raconter des histoires olé olé.&lt;br/&gt;（訳）　男は酔っ払ってエッチな話（下ねた）を話しだした。&lt;br/&gt;La mercière a mis en vitrine des sous-vêtements très olé olé.&lt;br/&gt;（訳）　洋品店の女はショウウィンドウにとても挑発的な下着を飾った。&lt;br/&gt;&lt;/blockquote&gt;　これは「挑発的」とも訳せますが、「大胆」とも訳せるものです。（ちなみに très と olé olé をリエゾンすると笑われます。リエゾンするって変なことば。） 大胆な水着でも大胆なポーズでも「オレオレ」です。あまり上品なひとが口に出すような品のいいことばではありませんが、かといって直接的な単語でもありません。ふだんこんなことばを使わないひとにとっては、適当なことばがない（口に出すのがはばかられる）から、ちょっぴり困って云うような感じかもしれません。「エッチ」と同じで、直接的ではないからこそかえってエッチだということが云えるでしょう。それでも、たとえば平気で下ねたを口にする女の子は、フランスでは「オレオレ」でありえますが、かといってそういう女の子は、必ずしも日本でエッチだとか挑発的だとか考えられるというわけではないようです。セクシーなつもりでどう見ても品がないような格好をしている女の子が日本にはいまでもいますが、ああいうのはフランスに行ったらオレオレですね。これはあらゆる口語表現と同様、なかなかひとつの決定的な訳語を当てはめるのがむずかしい単語です。&lt;br/&gt;　「オレオレ」ということばの語感は、日本語では下品なことを思わせないでしょう。フランス語の擬音語・擬態語に、guili-guili 「ギリギリ」というものがありますが、これは日本で云うと「コチョコチョ」にあたります。これも日本語の語感とはかなりかけ離れています。擬態語は日本語にしかないなんてことを云うひとがいますけれども、くすぐるときには音が出ないのだから、この「ギリギリ」はくすぐるしぐさを示す擬態語ではないのかと思うのですが、どうでしょうか。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-1689476093449982477?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/1689476093449982477/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=1689476093449982477' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1689476093449982477'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1689476093449982477'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/11/blog-post_5294.html' title='オレオレ写真'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-6057558372295722872</id><published>2008-11-05T02:33:00.001-08:00</published><updated>2008-11-05T03:18:39.728-08:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文法'/><title type='text'>ル・フランスとは何か</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　車のコマーシャルで「パッソ、プチプチ、プチトヨタ」と楽しげに歌っています。「プチ」はフランス語から来た外来語だというのは民間語源で、これは実際には擬音語からきた純然たる日本語ですが、あえて「これはフランス語だ」という説を真に受けてこだわってみましょう。&lt;br/&gt;　これがフランス語だとすると、Toyota という車の名前につく冠詞は女性形でなければなりません。「プチット・トヨタ」(petite Toyota)ですね。「国の名前でもない固有名詞なのだから、女性形にはならないだろう」なんて、四角四面の文法規則を云ってもむだです。「私はトヨタを一台、ヒュンダイを一台もっています」という場合には、J'ai une Toyota et une Hyundai と云います。これはおそらく voiture が女性名詞だからでしょう。Automobile かもしれません。（実はこの単語、まれに男性形の場合もあるらしい。形容詞が名詞化したものだから、と考えるとそういうこともありうることだと思われます。Véhicule automobile を省略した、と考えた場合には男性形になる、と考えることもできます。）&lt;br/&gt;　他方で、フランスでは le France という文字を見かけることがありますが、これは何でしょうか。ラ・フランスと云ったら梨、なんてことは常識ですが、ル・フランスってのはいったい何なんだろう。フランス人なのに自分の国の名前が女性名詞だってことも知らないのか？なんて呆れてみてもしょうがありません。フランスの町をちょっと歩いてみれば、こんな「まちがい」はごろごろしています。プロヴァンス地方には Le Provence というカフェやレストランがあります。いったいどうしてフランス人はこんな単純なことをまちがうの！&lt;br/&gt;　というあなたは甘いんですね。この場合 Le France や Le Provence は船の名前です。Bateau や paquebot という単語は男性名詞ですが、それだから男性名詞なのかどうかはよくわかりません。この定冠詞 le は、日本語の「号」にあたるものだと考えるのがいいでしょう。この名前は本来船のものですが、お店にもこのような名前「～号」をもったものが数多くあります。フランスのヨットが停泊している港では、女性の名前をもった船（当然冠詞はつきません）がかなり多いと思います。定冠詞 le がつく船はかなり大きな客船なのではないでしょうか。どことなく大げさな感じがします。&lt;br/&gt;　大げさと云えば、フランスのさぶちゃんことミシェル・サルドゥーの歌には Le France 「フランス号」という、1975年にフランスで二週間で50万枚売ったという大ヒット曲がありますが、これは愛国心を豪華客船の名前に託して歌ったものです。「フランス号」は1960年に進水、後に経営難のために売却されて、ノルウェー（1979）、さらにブルー・レディー（2006）と名前が変わっています。サルドゥーの歌は、フランス号の「引退」を受けて発表されたものです。歌詞のなかには le Queen Mary が出てきます。「女王様」だからって女性にはなりません。これは現代フランス語においては、「外来語だから」ではなくて、むしろ「船だから」です。&lt;br/&gt;　関係ないけど、ブラッサンスの Les Copains d'abord という歌の題名もやはり船の名前です。「友達第一号」とでもいうのでしょうか。これは le France のような仰々しい名前ではありません。&lt;br/&gt;　ところでこの前テレビで、フランスからやってきた洋梨の品種として、「レクラーク」が紹介されていました。もしや、といやな予感がしたのだが、何とゼネラルレクラークだっ！ ゼネラルはゼネラル石油だってゼネラルだし、そもそも「ジェ」は五十音表にないのだからいいんだけど、「レクラーク」ってものすげえなあ、と思っちゃった。むりやり英語風に読むんだったら、何でフランスから来たなんて云うんだろう。これも、たとえ「将軍様」は男性名詞でも、果物としては、une Général Leclerc と数えるべきものです。これはまちがいなく poire （洋梨）が女性名詞だからですね。&lt;br/&gt;　カタカナは「ジェネラル・ルクレール」となるべきところでしょうが、登録しちゃったらそれでおしまい、が日本ですから。だったら「おしまい」になる前にもう少し考えればいいと思うんだけど。だいたいルクレール将軍は無名ですらないし。ルクレール将軍通りなんて、フランスのどこの町に行っても必ずある通りだもんな。フランス人といったらナポレオンしか知らないようなひとが名前をつけたんだろうか。&lt;br/&gt;　フランス最大手のスーパー、E・ルクレールの創業者（エドゥアール）は、別に将軍と血縁関係はないはずです。今日はサルドゥーとかエドゥアール・ルクレールとか、右のひとの名前を出しちゃった。&lt;br/&gt;　ところで、「プチ・ブッセ」は、カタカナとしては結構むかしからあるような気がしますが、これはどう考えたものかなかなかわかりませんね。「プチット・ブーシェ」(petites bouchées)なんだろうけど。どうしてプチ・ブッセになるんだろう。&lt;br/&gt;　英語では petite というのは「小顔の女の子」のことです。男性形の petit は使われません。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-6057558372295722872?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/6057558372295722872/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=6057558372295722872' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6057558372295722872'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6057558372295722872'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/11/blog-post.html' title='ル・フランスとは何か'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-98144306578195969</id><published>2008-11-02T02:16:00.003-08:00</published><updated>2008-11-02T02:37:47.789-08:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='新語'/><title type='text'>Et t'as fait quelle itude?</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;ことの起こりは去年の初めであります。&lt;br /&gt;&lt;div align="justify"&gt;　2007年1月に中国を訪問した、社会党の大統領候補だったセゴレーヌ・ロワイヤルは、「万里の長城に来たことがないものは勇敢ではない」という中国のことわざを聞いて、「私は中国に勇敢性(bravitude)を探しにきたのです」と云いました。この「勇敢性」という奇妙な新語は多くのひとに嘲笑されました。これのせいでサルコジに負けたのではないかとも云われています。（「勇敢」と訳されたところは、中国語では「好漢」、つまり「好色漢」、もとい「いい中国人」ということばなのだそうです。）&lt;br /&gt;　これについてはさまざまな反応がありました。インターネット上のペイジで見つけたものでは、フランス語教師国際連盟による雑誌にもとづいた、&lt;a href="http://www.fdlm.org/fle/article/350/parlerdujour.php"&gt;Le français dans le monde というブログの記事&lt;/a&gt;（2007年3-4月）が、もっとも語学的におもしろいものです。セゴレーヌはこの新語によって無知を示したというよりは、このことばを云ったときのほほえみを考えると、意図的につくったのだろうとこのブログは推測しています。この新語にあたるだろう、フランス語にもともと存在した単語には bravoure がありますが、もしかしたらこの単語のマッチョな感じを嫌ったのではないかと云われています。&lt;br /&gt;　セゴレーヌはこの新語を「形容詞+ -itude」という規則に従ってつくっているけれども、これを真似して続々と生まれた新語は必ずしもこの規則に従っていないために、他のひとはセゴレーヌほどに言語感覚が発達していないということを示している、とこの記事は云っています。フランス語では、-itude という語尾で終わる単語の数は少なく、多くはラテン語から導入されたものだそうです。このブログは、aptitude (aptitudo)（適性）、certitude (certitudo)（確信）、plénitude (plenitudo)（充溢）、habitude (habitudo)（習慣）、solitude (solitudo)（孤独）という単語のリストを挙げています。&lt;br /&gt;　他方で、セゴレーヌの真似をしてつくられた新語としては、correzitude, maladressitude, fiscalitude, gravitude, Druckeritude などが挙げられています。Maladressitude, fiscalitude, gravitude に関しては、それぞれ maladresse, fiscalité, gravité があれば用が足りるところをおもしろがって新語をつくった、というものです。Gravitude だけは聞いたことがあります。Corrèze はジャック・シラクや社会党書記長のフランソワ・オランドの出身県、Drucker は日本人が大好きな経営学者じゃなくて、ミシェル・ドリュケールというテレビの司会者のことです。&lt;br /&gt;　&lt;a href="http://chambreavecvue.canalblog.com/archives/2007/01/09/3643665.html"&gt;Chambre avec vue というブログの記事&lt;/a&gt;（2007年1月）では、セゴレーヌはただ bravoure を云いまちがっただけだろうという意見ですが、ここで挙げられている -itude で終わる単語のリストはもう少し長いです。Finitude, attitude, promptitude, amplitude, exactitude, plénitude, turpitude, béatitude, gratitude, habitude, altitude, décrépitude, vicissitude, incertitude, inquiétude, lassitude, rectitude, magnitude... コメントは servitude をリストにくわえています。&lt;br /&gt;　社会党の議員さんの&lt;a href="http://www.michele-delaunay.net/blog/2008/04/21/704--itude"&gt;ミシェル・ドローネーのブログの記事&lt;/a&gt;（2008年4月）では、セゴレーヌの bravitude という新語を絶賛しています。モデルをエメ・セゼールの négritude にとり、自分でも féminitude という新語を発明しています。&lt;br /&gt;　さて今回この記事を書いた動機はこれであります。&lt;br /&gt;&lt;div align="left"&gt;&lt;div&gt;&lt;a style="left: 0px ! important; top: 19px ! important;" title="Cliquer ici afin qu'Adblock Plus bloque cet objet" class="abp-objtab-04861585401205045 visible ontop" href="http://www.dailymotion.com/swf/k4YVR5Dp9Q7EZ0P5s4&amp;amp;related=1"&gt;&lt;/a&gt;&lt;object width="420" height="331"&gt;&lt;param name="movie" value="http://www.dailymotion.com/swf/k4YVR5Dp9Q7EZ0P5s4&amp;amp;related=1"&gt;&lt;param name="allowFullScreen" value="true"&gt;&lt;param name="allowScriptAccess" value="always"&gt;&lt;embed src="http://www.dailymotion.com/swf/k4YVR5Dp9Q7EZ0P5s4&amp;amp;related=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" allowscriptaccess="always" width="420" height="331"&gt;&lt;/embed&gt;&lt;/object&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;&lt;a href="http://www.dailymotion.com/video/x78ytk_mickael-vendetta-humiliation-chez-c_fun"&gt;Mickael Vendetta Humiliation chez Cauet ( Version complète )&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;i&gt;envoyé par &lt;a href="http://www.dailymotion.com/punkseiya"&gt;punkseiya&lt;/a&gt;&lt;/i&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="justify"&gt;　このミカエル・ヴァンデッタという青年が、「俺はいい男だ」ということでフランスのインターネット上で話題になっております。いわゆるバズ(buzz)というやつですね。もっとも日本で「バズ」ということばがどのくらいいわゆっているのかはよくわかりませんが。この青年は「俺はいい男だ、（よって）ビッグだ」とインターネット上で云っているということ以外何もないのだが、その不遜な態度がばかにされてもまったくそれを意に介さないということでやっているわけです。同時にゲストで出ているちょっと太めの黒い服を着た女の子はシンディ・サンダース（サンデルス）と云って、これが去年の「ヌーヴェル・スター」というオーディション番組で、「大して歌がうまくないのに自分は天才歌手だとどうやら本気で思い込んでいるらしい」というのがばかにされて有名になりました。ミカエルくんは男版シンディ・サンダースと呼ばれているのだが、歌も歌っていないというのが少しちがいます。ミカエルくんの隣りの隣りにいるアメル・ベントという女の子も「ヌーヴェル・スター」出身ですが、彼女はミカエルくんに「あなたは何もしてないじゃない」ということを云っています。（ちなみにアメル・ベントとミカエルくんの間にいるのはインドネシア出身（現在はフランスに帰化しています）のアングーンという歌手で、新作は世界のサカモトがプロデュースしています。）&lt;br /&gt;　さてミカエルくんが標榜するのが、bogossitude です。今の日本で云うといけめんというのでしょうか、美青年のことを beau gosse と云います。むしろ若者ことばとしては bogoss とつづった方がいいでしょう。私もフランスでよくこう呼ばれました。この bogossitude は「いけめんアチチュード」という感じでしょうか。&lt;br /&gt;　その一方で、ミカエルくんが司会のコエを批判して云うのが、beaufitude ということばです。これは beauf ということばから来ています。Beauf は beau-frère すなわち「義理の兄」の略語です。日本語でこれに相当する単語はありませんが、強いて云えば「おやじ」とニュアンスが似ていると云えるでしょうか。自分の奥さんや恋人のお兄さんは、保守的で、品がなくて、社会問題に対する定見がなくて、サッカーと野球のファンで、ビールばかり飲んで、ヌード写真を見て、競馬なんかやります。ミカエルくんはこのコエのことをこういう beaufitude 日本風に云ってみれば「おやじ性」の代表と呼びます。もっとも beauf は必ずしも「おやじ」ではありません。この番組は確かに beaufitude を代表するものですから、ミカエルくんはまちがっていないと云えます。でも前に聞いたことがありそうな気がする beaufitude は、ミカエルくんがつくった単語ではないでしょう。ちなみに、この番組の題名 Méthode Cauet もまたフランス人の好きなことば遊びで、méthode Coué 「クエ式自己暗示法」をもじっています。&lt;br /&gt;　ジャック・シラクが abracadabrantesque 「わけがわからない」ということばを使ったときにも、人々は辞書に載っていない自分でつくったことばを使うシラクのことをあざ笑いましたが、実はこの単語はアルチュール・ランボーが使っていたことがわかってみんな恐縮してしまいました。それに対してセゴレーヌ・ロワイヤルの bravitude はまちがいなく彼女自身の造語でしたが、シラクの abracadabrantesque とはちがって、次々と -itude で終わる造語を生むという予期せぬ事態を生んでいます。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-98144306578195969?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/98144306578195969/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=98144306578195969' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/98144306578195969'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/98144306578195969'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/11/et-t-fait-quelle-itude.html' title='Et t&amp;#39;as fait quelle itude?'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-5056606044109512333</id><published>2008-10-31T04:10:00.000-07:00</published><updated>2008-10-31T04:21:07.234-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='読み方'/><title type='text'>エリックさんの名前（続報）</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　以前&lt;a href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_10.html'&gt;エリック・ヴールト(Eric Woerth)の苗字&lt;/a&gt;はいかに発音されるかということについての記事を書いたときに、いたって無責任にこれはオランダ系の苗字ではないかしらんということを書いたのだが、何のことはない、アルザス系ですね、これは。まったくうっかりです。バ・ラン県（下ライン県）にこの名前の町があります。ヴールト(Woerth)は1870年にフランスが大敗北を喫したライショフェンの戦いの舞台になったところですから、決して名前の知られていない町ではないでしょう。アルザスでは Woerth とつづられますが、ドイツ語では Wörth になります。ですからこの母音はフランス語の規則として oe が後ろに母音をともなっていない場合の「エ」ではなくて、ウとエの中間音だと考えるのが適当でしょう。かといって「フランス人は『ヴェルト』と発音しないのである！」と主張できるようなものでもありませんが。（コメントでは、&lt;a href='http://elsasser.free.fr/ElsNamme/ElsNamTZ.html'&gt;elsasser&lt;/a&gt; というサイトでは verte と同じ発音[vεrt]になっていることが報告されています。）&lt;br/&gt;　さて、これがアルザス系の苗字だとわかってみると（エリックさん自身はピカルディー地方のワーズ県クレイユの出身）、最後の th を「ス」と読むのはおかしいのではないかと考えられます。しかしフランス人のアナウンサーがこれを「ス」で発音したのは一度や二度ではありません。この問題に関する&lt;a href='http://champignac.hautetfort.com/tag/anglais'&gt;おもしろいブログ記事&lt;/a&gt;を発見しました。ブログの題名は Le Petit Champignacien illustré といいます。最近のフランス語のことばの問題をいろいろあげつらうものらしいです。&lt;br/&gt;　私がヴァース（ヴールスでもワースでも、カタカナの書き方はどうでもいいが）というような発音を聞いたのはヨーロッパ1だが、ここではフランス・アンテール(France Inter)で聞いたということが報告されています。エリックさん属するUMPを支持する読者のジャンクロードさんから、「伯爵」と呼ばれるブログ主に、「英語風の -s で終わるエリックさんの名前をフランス・アンテールで聞いたのだが、これは1981年に採用された左翼のアナウンサーなのか、それともドイツ語の発音が私の若いころから変わってしまったのか」という質問がなされています。&lt;br/&gt;　「伯爵」さんが答えて云うには、ジャンクロードさんがドイツ語や英語のレベルを心配する必要はなく、まさにこのジャーナリストは反全球化・左・エコロジー・社会・共産・マルクス・レーニン主義者なのだということです。この左のジャーナリストは、当然彼にとっては悪役である予算担当相のエリックさんの名前を英語の「ワース」と結びつけようとしたのである、と答えています。ここで英単語のつづりが worth になっているのがご愛嬌で、コメントが worse に訂正しています。ちなみにこの記事の題名は「最低の中の最低」(Le pire du pire)です。もちろんユーモアなんだが、どこまでユーモアで、どこから本気でまちがっているのかよくわからないところがまた味ですなあ。「右のひとから見ると左翼は英語かぶれ」（と左のひとが考える？）というのもまたおもしろいことです。伯爵さんはこうおっしゃっております。&lt;br/&gt;&lt;blockquote&gt;　フランス人のジャーナリストはだれも英単語の意味を理解する能力をもたないだろうが、ドイツ起源の名前の発音は彼らには難しすぎて、言ってしまえばむだなものなのである。所轄官庁にこのジャーナリストを告発し、この問題を休止させるために一刻も早い罷免を要求しなければなりません。&lt;br/&gt;&lt;/blockquote&gt;　まあ、ユーモアですけどね。&lt;br/&gt;　実際 Woerth の名前の th を s で発音するアナウンサーが「英語風」に発音しているのかどうかは私にはわかりません。何か他の理由がありそうな気がします。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-5056606044109512333?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/5056606044109512333/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=5056606044109512333' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/5056606044109512333'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/5056606044109512333'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_31.html' title='エリックさんの名前（続報）'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-7388384102863595512</id><published>2008-10-30T19:38:00.000-07:00</published><updated>2008-10-31T04:28:54.546-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>白いキャベツ</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　&lt;a href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_28.html'&gt;前々回の記事&lt;/a&gt;のなかで紹介したTF1の番組のなかで、有名なジャーナリストのベルナール・ピヴォが faire chou blanc という言い回しの起源の説明をしています。この「白いキャベツをつくる」とでも訳せそうな表現は、「失敗する」という意味ですが、ピヴォ氏いわく、フランス中部ベリー地方(Berry)の方言では、coup のことを chou と発音するところから来ているということです。ボーリングのようなゲイムで、地方の村祭りなどでよくやる余興にキーユ(quilles)というものがあります。このゲイムにおいて、coup blanc、すなわちピンを一本も倒せない場合が、この言い回しの起源だとピヴォ氏は云います。&lt;br/&gt;　しかしレー&amp;amp;シャントローは、この faire coup blanc という表現が確認されていないと云います。この「白いキャベツをつくる」という言い回しがキーユ遊びで「一点もとれない」というところから来ているということには同意していますが、chou 「キャベツ」という単語がそもそも多くの言い回しのなかで「失敗」の意味を喚起するということを云っています。たとえば être dans les choux は「落伍者である」ということを意味します。ベリー地方の方言が起源であるというピヴォ氏の説明は「おもしろい」ことは確かですが、レー&amp;amp;シャントローの意見の方が正当なものだと私には思われます。ちなみにこの手のフランス語ヴァラエティ番組に出てくるフランス語に詳しい有名人といえば、ベルナール・ピヴォかアラン・レーです。&lt;br/&gt;　さて、ここでの「キャベツ」のように否定的なニュアンスをもっている野菜といえば、「かぶ」があります。Navet といえば「つまらない映画」のことです。フランスの子供の歌には Savez-vous planter les choux? 「キャベツの植え方を知っていますか」というものがありますが、これもまたキャベツの空っぽさを象徴するようなナンセンスなものだと云えるでしょう。これはフランスの子供の歌のなかでもくだらないものとして知られていますが、このくだらなさは「キャベツ」のイメージのせいでもあるでしょう。&lt;br/&gt;　フランスの子供の歌のつまらなさ、ナンセンスさを見ると、私たち日本人は北原白秋、野口雨情、サトウハチローなどのすぐれた詩人が子供の歌をつくったことをしあわせに思わずにいられません。こればっかりは珍しく、日本のいいところだよ。悔しいけど。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class='youtube-video'&gt;&lt;object width='425' height='355' class='__noscriptOpacized__' sap='object' sap-mode='checked' sap-type='flash'&gt;&lt;param value='http://www.youtube.com/v/JVJIrpgHAW8' name='movie'&gt; &lt;/param&gt;&lt;param value='transparent' name='wmode'&gt; &lt;/param&gt;&lt;embed width='425' height='355' wmode='transparent' class='__noscriptOpacized__' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' mediawrapchecked='true' src='http://www.youtube.com/v/JVJIrpgHAW8' type='application/x-shockwave-flash' id='Player1225421109773' splayername='SWF' tplayername='SWF' sap='flash' sap-mode='checked' sap-type='flash'&gt; &lt;/embed&gt;        &lt;/object&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Savez-vous planter les choux&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　絶望的な気分になりますね。&lt;br/&gt;&lt;div align='justify'&gt;　何年か前に、セクシーな女の子がブルースロック風にこの歌を熱く歌うコマーシャルがありました。コピーが云うには、「見た目はよくても中身がなければだめ」。つまりこの歌は「あまりに意味がなさすぎる」ということです。確かハムのコマーシャルだと思いましたが、この歌のメロディがブルースロック風になるという目のつけどころがよかったね。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7388384102863595512?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7388384102863595512/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7388384102863595512' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7388384102863595512'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7388384102863595512'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_9326.html' title='白いキャベツ'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-8091616569266797915</id><published>2008-10-30T18:29:00.000-07:00</published><updated>2008-10-30T18:30:10.879-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>折れた棒</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　別のブログの「&lt;a href='http://muroyanei.blogspot.com/2008/10/blog-post_21.html'&gt;おしゃべり！おしゃべり！&lt;/a&gt;」と題した記事で、causette （おしゃべり）という単語は conversation の類義語の平俗語で、"petite causerie à bâtons rompus" 「とりとめのないちょっとしたおしゃべり」と定義されているということを紹介しました（アシェット類義語辞典）。仏和辞典にも、この言い回しは「散発（断続）的に、散漫に」とあるので、よほどのあわてものでもなければ「折れた棒」とは訳さないでしょう。この新スタンダードには「断続的な太鼓の打ち方」という註がついていますが、これはいったいどういう打ち方で、どうしてこのように呼ばれるのでしょうか。&lt;br/&gt;　ここでは軍楽の太鼓の打ち方が問題となっています。一方には両手にもったばちを交互に打ちつける奏法があります。今でも表彰式の名前の発表前のサスペンスをかもしだすときに、「タカタカタカタカ…」と細かく打つ太鼓の打ち方（ロール）がありますね。このような roulement に対して、batterie de tambour à bâtons rompus というのは、両手にもったばちをそれぞれ二回ずつ「タンタン」「タンタン」と打つという打ち方だそうです。一言云うと一言返す、という会話をこの奏法は思わせるということが云えるのでしょう。この言い回しはことばについてしか用いられません（レー＆シャントロー）。「タカタカタカタカ…」という roulement の持続的な感覚に対して、もっぱらことばの短さが強調されています。よってここでの rompus という単語は「折れた」という意味ではなくて、「間隔をおいた」という意味になります。&lt;br/&gt;　さて、他のサイトを見てみますと、&lt;a href='http://www.pourquois.com/2006/09/pourquoi-dit-on-une-conversation-btons.html'&gt;pourquois.com&lt;/a&gt; というサイトでは、アフリカのトーキング・ドラムの例が挙げられています。ひとりだけが話す場合は、bâton à palabres （長広舌のばち？）で、みんなが自由に話すことができるのが bâton rompu だと説明されています。どことなく信用が置けないような意見だという感想を私はもちますが、読者の評価は5点中3点になっています。&lt;br/&gt;　&lt;a href='http://www.expressio.fr/expressions/a-batons-rompus.php'&gt;Expressio.fr&lt;/a&gt; では、この表現の起源ははっきりしないとし、おそらく上の軍楽太鼓の例から来ているのだろうとしながらも、模様が規則的ではない、線が交錯した(bâtons entremêlés が何を云いたいのかは不明瞭だが、こういう意味か）、中世のつづれ織りから来ているのかもしれないという説を紹介しています。コメントが結構おもしろいです。&lt;br/&gt;　&lt;a href='http://www.francparler.com/syntagme.php?id=398'&gt;Francparler.com&lt;/a&gt; ではまずレー&amp;amp;シャントローの軍楽太鼓の意見を紹介し、しっかりした根拠のあるものかどうかはわからないと断りながら、アフリカの例を紹介しています。このサイトは&lt;a href='http://www.unesco.org/courier/1999_05/fr/signes/txt2.htm'&gt;ユネスコの記事&lt;/a&gt;へのリンクを貼っていますが、この記事ではアフリカの la palabre (&lt;i&gt;sic&lt;/i&gt;) （会議）について書かれています。これは「多くの問題が自由に議論され、共同体に関する重要な決定がなされる会議」だそうです。ひとつの例として、この会議の代表が労働歌を指揮するということが云われています。しかし正直なところ、これが à bâtons rompus という言い回しとどのような関係がある話なのかはよくわかりません。このユネスコの記事とはあまり関係のようなしかたで、francparler.comは、このアフリカの会議では棒をもっているひとだけにしゃべる権利があるということを書いています。Francparler.com ではこの palabre という単語を男性名詞としていますが、もしかしたらユネスコの記事が伝えるように、アフリカの会議を意味するときには女性名詞になるのかもしれません。&lt;br/&gt;　みんなが「こういう起源ではないのか」と詮索しているのがおもしろいですね。レー&amp;amp;シャントローの「軍楽太鼓」がまじめな意見で、アフリカやつづれ織りは民間語源説ではないかという気がするのですけれど、どうでしょうか。これは私の感想でしかありません。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-8091616569266797915?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/8091616569266797915/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=8091616569266797915' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8091616569266797915'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8091616569266797915'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_30.html' title='折れた棒'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-6991138327584392330</id><published>2008-10-28T22:11:00.000-07:00</published><updated>2008-10-28T22:12:00.516-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文法'/><title type='text'>リストの八番目</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　フランス語の ou で終わる名詞のうち、chou, joujou, bijou, genou, caillou, hibou, pou の七語は複数形をつくるときに、語尾に x をとります。他の ou で終わる単語は s をつけるのが規則です。よくフランス人で bisou （キス）に x をつけて bisoux と書くひとがいますが、これはまちがいですから真似をしないように。まあ、どことなく x がキスをする口の形にみえないことはありません。&lt;br/&gt;　むかしからある単語については規則があるから問題ないのですが、新しくできた単語についてはどうでしょうか。フィリップ・ノワレとティエリー・レルミット主演の1984年の大ヒット映画で、パート3までつくられた映画に Les Ripoux というものがあります。フィリップ・ノワレが死んだからつづきはないでしょう。Ripou は pourri （「腐った（奴）」）の逆さことば（ヴェルラン）で、「悪徳警官」を意味します。俗語であるかぎりは文法的に正しいも何もありませんが、この映画の公開後ほぼ四半世紀を経て、この単語も市民権を獲得したと考えることもできるのかもしれません。その場合は、この「悪徳警官」がリストの八番目の単語となるでしょう。&lt;br/&gt;　実は私はこの話をTF1の番組で聞きました。ディクテコンクールでおなじみのジャーナリストのベルナール・ピヴォがそういうことを云っていました。この「&lt;a href='http://videos.tf1.fr/video/emissions/speciales/0,,4130009,00-tf1-en-video-premiere-partie-1-4-.html'&gt;フランス語テスト拡大版&lt;/a&gt;」なる番組、上級者のひとなら見てみてもいいでしょう（リンクはパート1だが、パート4まであります。全部で2時間強）。もっとも「TF1のテレビ番組だなんて、つまらないものをごらんですのね、ホホホホホ」というような、なぜかフランス人になった気分の上級者ならわざわざごらんになる必要はありませんが。「これはいい番組だ」と云っているのではなく、「フランス語上級者の日本人にはためになる」と云っているのです。ゲストとしては、ベルナール・ピヴォの他に作家のベルナール・ヴェルベール（とても人気がある）、女優のビクトリア・アブリルらが出ています。正直なところ、こういう番組はだれに勧めたものともわからないのだけれども、「フランス語に関する知識を深めたい」とまじめに思っているひとなら見て損をすることはないでしょう。結構問題は簡単なので、クイズ番組としての手ごたえはありませんが、いろいろ口語表現や俗語表現が覚えられていいのではないでしょうか。他には「白いキャベツ」(chou blanc)の話がおもしろかったが、それはまた今度。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-6991138327584392330?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/6991138327584392330/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=6991138327584392330' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6991138327584392330'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6991138327584392330'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_28.html' title='リストの八番目'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-1636956645999563576</id><published>2008-10-11T21:45:00.001-07:00</published><updated>2008-10-11T21:45:31.237-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>ロシアの山</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　フランスのポッドキャストの株価暴落のニュースを聞いていたら、これは「ロシアの山」(montagnes russes)だということを何度も云っています。これはまた知らない表現だなあと思いましたが、調べてみると「ジェットコースター」のことだということです。ということは新しい表現なのかなと思ったら、遅くとも19世紀初頭からあるようです。最初は山をそりで滑り降りる遊びだったということなので、そこから「ロシアの山」という言い回しができたのでしょう。実際に18世紀ごろにはサンクトペテルスブルクの周辺に特別にこのそり遊びのための山があったのだそうです。これがとても人気があったので、18世紀末から他の国のひとも真似をはじめたということです。19世紀初頭のフランスの遊園地の例としては、そりの代わりに台車に乗って坂を滑り降りる遊びが報告されています。&lt;br/&gt;　この言い回しは「起伏が激しい道」も意味し、比喩的には「乱高下」を意味するようです。よく考えてみると、この「ロシアの山」ということばは前に聞いたことがありますが、忘れていました。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-1636956645999563576?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/1636956645999563576/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=1636956645999563576' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1636956645999563576'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1636956645999563576'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_11.html' title='ロシアの山'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-2572081404225713857</id><published>2008-10-10T18:42:00.001-07:00</published><updated>2008-10-10T18:42:54.911-07:00</updated><title type='text'>足をとる</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　いろいろな言い回しや成句をつくる単語のなかでも、特に pied 「足」は重要なものであり、多くのおもしろい言い回しを構成します。&lt;br/&gt;　たとえば pieds nickelés は「ニッケルの足」という意味にみえますが、おそらく nickelés はまちがって伝わった形で、もともとは pieds niclés という方言から来た俗語だったと思われます。これは「足が不自由だ」ということです。足が不自由だと、それを口実にして兵役逃れをすることができます。よってこの単語の形が変わった pieds nickelés は、「（不誠実なしかたで切り抜ける）怠けもの」を意味します。また、「ニッケル」の連想から、「好運」という新しい意味も生まれています。&lt;br/&gt;　一方で pieds noirs 「黒い足」は「アルジェリアからの引揚者のフランス人」を意味します。この言い回しには軽蔑的な意味合いはありません。これは起源がなかなかわからない表現です。フランスとアルジェリアを結ぶ船の乗組員が裸足で船倉の炭の上を歩いていたので足が黒かったという説、フランスからの引揚者は黒い靴下をはいていたという説などがあります。この言い回しはアルジェリアで生まれたひとを意味するので、フランスで生まれたフランス人ではない「アフリカに根差すひと」を意味するとも考えられるでしょう。よってアルジェリアから引き揚げてきたフランス人は自分で「私はピエノワールだ」ということを云います。そこに誇りがあるのかどうかはわかりませんが、ともかく「黒い足」という言い方から想像されるような悪い意味はありません。&lt;br/&gt;　Perdre pied は「足場を失う」ことですが、prendre pied は「（ある場所に）落ち着く、居を定める」ことです。気をつけなければならないのは、この表現によく似ている prendre son pied は性的、さらには猥褻な言い回しであるということです。この言い回しの場合は、pied はからだの部位ではなく、もともとは古い長さの単位、現代の英米では「フィート」にあたるものを意味していたと考えられます。性交において「自分のもち分をとる」のがもともとの意味だったと考えられますが、現在では「性的な快感を感じる」ことを意味します。これは非常に下品な表現です。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-2572081404225713857?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/2572081404225713857/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=2572081404225713857' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2572081404225713857'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/2572081404225713857'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_10.html' title='足をとる'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-7257224985365526733</id><published>2008-10-02T01:37:00.001-07:00</published><updated>2008-10-02T01:37:28.986-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>牛乳のスープ</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　ローラン・ボワイエがジョジアンヌ・バラスコに対して Es-tu...? と聞いていたのだがが、単語がよく聞き取れませんでした。そのやりとりを聞きつつ辞書を引いて、「ああ、soupe au lait と云ったんだ」と思いました。&lt;br/&gt;　Es-tu soupe au lait? 「あなたは牛乳のスープですか」&lt;br/&gt;　これは18世紀の末から用いられている言い回し monter comme une soupe au lait が省略されたもので、「怒りっぽい」ということを意味するそうです。牛乳は沸騰すると鍋から溢れるからですね。品の悪い云い方では「きれやすい」ということでしょうか。&lt;br/&gt;　これは言い回しではないですけれども、フランスでは子供に大きくなるためにスープを飲みなさいと云います。こういうことも覚えておくといいですね。「何の役にも立たない」と思うかもしれませんが、フランス人と話をするときにこういう知識は役に立ちます。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7257224985365526733?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7257224985365526733/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7257224985365526733' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7257224985365526733'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7257224985365526733'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post.html' title='牛乳のスープ'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-1980585715500143226</id><published>2008-09-29T01:54:00.001-07:00</published><updated>2008-09-29T01:56:36.708-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>あなたぎりぎり</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　フランスのR&amp;amp;B（カタカナでは「アーレンビー」というような発音）といえば、一枚シングルがヒットしてもその後はそのまま忘れ去られてゆくようなせちがらい世界であります。アルバムが出せたら万々歳、アーティストとして生き残れることなどまずないような、そんな感じですね。フランスでR&amp;amp;Bはまるでラップの下位ジャンルのような感じで、国産の音楽としては、まだまだ認知のされていない音楽だと云えるでしょう。きわめて新しいジャンルだということもありますが、若者の間ですら、フランスのR&amp;amp;Bほどどうしようもない音楽もないと考えるひとが多いようです。おそらく今フランスでもっとも軽蔑されている商業音楽のジャンルではないでしょうか。私も正直なところフランスのR&amp;amp;Bのひとで本当におもしろいと思うひとはいません。そんな云うほどひどいもんか、とも思うが、フランス人は歌詞を重視することを考えると、英語とフランス語をちゃんぽんにした変な歌詞は確かに滑稽ではあります。でもみんながみんな変な歌詞を歌っているわけでもありません。ヒット曲としてそんなにひどくはないとは思っても、R&amp;amp;Bというにはヴォーカルの弱さが気になるものが多いことは確かです。（ところでM・ポコラというのが日本でも発売されて「ティンバランドに見出された」なんて云ってますが、これはうそですね。テレビのオーディション番組出身の男の子が「俺は本格はR&amp;amp;Bアーティストだ」と云いだしたのだが、ティンバランドがプロデュースしたのはそのプロモウションの一環です。あまり本気にはされていません。）&lt;br/&gt;　そんななかでヴィタアという歌手がおりまして、デビューしたのは去年で、新作を出していないからもう消えたかなと思ったのだが、結構 YouTube では新しいファンの熱いコメントがついています。新進R&amp;amp;B歌手のなかでは珍しく熱心なファンを獲得しているようです。フランスR&amp;amp;Bのなかで唯一の才能と云うひともいるらしいですけど、そういう気持ちもわかんないでもないかな（恥）。ソロデビューヒットはこれです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class='youtube-video'&gt;&lt;object height='355' width='425' sap-type='flash' sap-mode='checked' sap='object'&gt;&lt;param name='movie' value='http://www.youtube.com/v/OIis3OVrX64'&gt; &lt;/param&gt;&lt;param name='wmode' value='transparent'&gt; &lt;/param&gt;&lt;embed height='355' width='425' sap-type='flash' sap-mode='checked' sap='flash' tplayername='SWF' splayername='SWF' id='Player1222670705616' type='application/x-shockwave-flash' src='http://www.youtube.com/v/OIis3OVrX64' mediawrapchecked='true' pluginspage='http://www.macromedia.com/go/getflashplayer' wmode='transparent'&gt; &lt;/embed&gt;    &lt;/object&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Vitaa - A Fleur De Toi (video) **Exclu**&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;div align='justify'&gt;　このひとはソロデビュー前の一昨年に女ラッパーのディアムスとのデュオの「真夜中の告白」(Confessions nocturnes)という「あまりに嫉妬深い上に、自分の女友だちのしあわせすら許せないうそつき女」の歌がヒットして、これがもうメロディもアレンジもともかく全部気持ち悪かったのね。でも考えてみると、性格悪過ぎの自己中心的な女を演じる歌というのはなかなかないかも。ミカエル・ユーンのファタル・バズーカがパスカル・オビスポ（ヴィトオの名で出ている）とやったパロディもあります。あまりに気持ち悪いのでパロディをつくらずにはいられなかったのでしょう。YouTube を探すと両方とも出てきます。&lt;br/&gt;　どこかベートーヴェンのこの A fleur de toi は、「あなた以外のひととやり直そうとしているけど、あなたのことが忘れられないのよ」という、まるで「あずさ2号」のような世界観だが、この歌の後は、「妹よ」(Ma soeur)という「妹に彼氏とられちゃった、トホホ」な歌、というか「どうしてそんなことをしたの」と妹をなじる歌なのだが、それがヒットして、私のような意地悪なおじさんは「お前みたいなヒステリー女なら妹に男をとられてもしょうがねえよな」と思っちゃったよ。ヒット曲はどれも曲調やアレンジが妙に大げさで、しかもメロディの符割りとか変。A fleur de toi はまだ聴きやすいが、これもまた悲壮感盛り上げまくりなのはなぜ？ 私も最初は許せなかったが、いやだなあ、と思っていた A fleur de toi を彼女がテレビで歌ったときに、「案外いい歌じゃない」と思っちゃった（恥）。テレビではさびをちゃんとひとりで歌ったからね。スタジオ録音はこれ、アレンジのまちがいでしょう。日本の歌謡曲のような雰囲気はあるが、日本の歌謡曲ではありえないかな、やっぱり。&lt;br/&gt;　さてアルバムタイトルにもなったこの題名はどういう意味なのか。まあ、初心者でもなければだれも「あなたの花」だとは思わないでしょうね。辞書を引くと à fleur de という表現は「～と同じレベル」と出てきます。「どうしても彼のことをあなたと同じくらい愛せない」と歌っているのだから、そういう意味だと考えていいでしょうね。ちょっと検索したところで出てきた記事の題名でおもしろかったのが、Sexisme à fleur de mots というもの。「語のレベルでの性差別」ということでしょうね。しかし、じゃあ「あなたと同じくらい」でいいんだと云ってそれですませたら、「でもどうしてこんな奇妙な表現なのか」ということがわかりません。&lt;br/&gt;　フランス人の前で à fleur de? と云って何か単語をつづけさせようとしたら、まちがいなく peau とつづけるでしょう。この à fleur de peau という表現も一筋縄ではいきません。私は知らなかったが「表面的」という意味があるんですね。アラン・レーの言い回し辞典にはこの「表面的」という意味だけが載っています。しかしこの表現は日常的には「神経質」の意味で使われることの方がずっと多いと思います。A fleur de peau という表現を見て「皮の花」と訳してもしょうがないですが、「皮の花」という字面とにらめっこしていると、がらがらにやせているひとは、肌に浮き出た自分の血管を見て「ひょっとしてこれのこと？」と思うかもしれません。発想としてはそういう感じですね。神経が皮一枚のところにあるような非常に神経過敏な状態を云います。&lt;br/&gt;　似て非なる表現ながら、この際言及しておきたいのが、fleur bleue というもの。「青い花」ですが、ノヴァーリスではなくて「ロマンチック」なことです。ノヴァーリスはロマン主義だが必ずしも日本語のカタカナことばの「ロマンチック」が意味するものではありません。このフランス語の「青い花」は白馬の王子さまの登場を待つ夢見がちな女の子の感性です。一方で à fleur de peau はどちらかといえばパンク少女の方かな。&lt;br/&gt;　ということでヴィタアの à fleur de toi は「あなたと同じくらい」の意味だが、表現としては à fleur de peau のもじりとして感じられます。だってこの悲しい曲が à fleur de peau そのまんまなんですから。案外今どきの米国青春ドラマの感覚があります。ということで、神経衰弱ぎりぎりな女の感じを出して、「あなたぎりぎり」という雰囲気訳を提案。意味は合っているがこの表現の味を無視している「あなたほどには」よりはいいでしょう。雰囲気訳は十個あったら十個捨てろ、という意見のひともいるでしょうが、私はそこまで過激ではありません。（フランス語で同じ意味の表現で置き換えろ、と云う場合には、Au même niveau que toi ということになるでしょう。こちらは当然どんなことをしても「あなたぎりぎり」にはなりませんよ。「あなたと同じくらい」と「あなたぎりぎり」は同じ意味なのか？といぶかしく思っているひとがいるかもしれませんが、意味はちがいます。私は「あなたぎりぎり」がこのフランス語の題名の感じをよく出しているだろうと云っているだけです。）&lt;br/&gt;　実は今ヴィタアのアルバムを聴いているのだが（恥）、みんなヒット曲と同じように聞きづらいものなのかと思ったら、アルバムはそんなに悪くないよ（恥）。名前はAがふたつ並んでるから Aaliyah を意識しているのかと思ったら、実際はアリシア・キーズ意識しまくりでした。もっとシングル曲のような恨み節があってもいい気がするが、とかえって物足りなかったりして。最初に「プレリュード」があって、そこでは A fleur de toi, je te respire. と云っているのだが、これもまたわかりにくいですなあ。こっちは「あなたと同じレベル」であるよりはずっと「あなたぎりぎり」なんでしょう。&lt;br/&gt;　（フランス人はヴィタアとアを二回発音しませんが、Vitaa と書いているのだから、みえるようにカタカナに転写します。私は「聞こえる派」じゃないんで。）&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-1980585715500143226?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/1980585715500143226/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=1980585715500143226' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1980585715500143226'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/1980585715500143226'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/09/blog-post_4097.html' title='あなたぎりぎり'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-791925133822004287</id><published>2008-09-08T23:55:00.000-07:00</published><updated>2008-09-09T00:41:21.398-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>スパニッシュ・アパートメント</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　この前BSをぼんやりながめていたら、『ロシアン・ドールズ』という映画の番組予告をしていたので、&lt;i&gt;L'Auberge espagnole&lt;/i&gt; の方はどういう邦題なのかと思ったら『スパニッシュ・アパートメント』でした。投げやりですねえ。いったいどういう義理があってフランス映画の投げやりな英題を投げやりな日本の配給者は用いるのでしょうか。投げやりに投げやりをかけても前向きにはならないと思いますけど。&lt;br /&gt;　Auberge espagnole は「スペインの宿」でいいんじゃないの？と思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこれも決まった言い回しなのです。映画がバルセロナの話だからそう考えていなかったひともいるだろうけれど、バルセロナなら auberge catalan になりそうなものだとは思いませんか。決まった言い回しをことば遊びで映画の題名に使ってみたのですね。&lt;br /&gt;　この言い回しの意味は「自分でもってきたもの以外のものがないような場所、状況」というものです。スペインの宿屋では何にも出してくれないので、自分で飲み食いするものはもっていった方がいいと云われていたことからこの表現が生まれたのだそうです。アラン・レーの言い回し辞典にはモンテルランの次の例が載っています。ベートーヴェンの第九交響曲のコンサートについて書かれたものだそうです。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;　On y arrive extasié d'avance, y apportant &lt;i&gt;comme dans les auberges espagnoles&lt;/i&gt;, tout ce qu'on souhaite d'y trouver.&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　「『スペインの宿』のように、そこにあってほしいと望むものを全部自分でもちこんでいるので、みんな到着するなり最初から昂奮している」&lt;br /&gt;　実際映画やコンサートに行くときに、最初からすばらしいと思い込んでしまって、何も見聞きしていないんじゃないか、という疑いを抱かせるひとは存在します。こういうひとは最初からつまらないと思い込んでいるときも同質の行動をとります。モンテルランの文章は、実際にはこのコンサートの中身は空っぽだったということを云っているのでしょうか。&lt;br /&gt;　アラン・レーには「自分でもっていかなければ何もないところ」の意味しか載っていないけれども、この言い回しは逆にごちゃごちゃものが散らかっている長屋のようなところのことも意味します。私はむしろこちらの意味で理解していたのですけれど、映画でもどちらかと云えばこちらの意味でしょうね。&lt;br /&gt;　『ロシアン・ドールズ』の方は「マトリョーシカ人形」ですね。別に比喩的な意味をここに書く必要もないでしょう。しかし日本の人間の観客は、『ロシアン・ドールズ』と云われて、マトリョーシカ人形のことだとわかるのか。うすうすそうじゃないのかと思っても、『ロシアン・ドールズ』なんて云われたら何だか自信がない、というひとが結構多いんじゃないかという気がするのですけれども。&lt;br /&gt;　セドリック・クラピッシュの映画なら、&lt;i&gt;Un air de famille&lt;/i&gt; と云うのがよかった。この題名は「家族のような雰囲気」であると同時に「家族のメロディー」でもあるでしょう。&lt;br /&gt;　どうでもいいけど、セシル・ド・フランスってベルギー人だよ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;Now playing: &lt;a href="http://www.foxytunes.com/artist/martin_rappeneau/track/poupee_russe" title="'Martin Rappeneau - Poupée russe' - open on FoxyTunes Planet"&gt;Martin Rappeneau - Poupée russe&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color: rgb(153, 153, 153); font-style: italic; font-size: 10px;"&gt;via &lt;a style="color: rgb(102, 102, 102);" href="http://www.foxytunes.com/signatunes/" title="FoxyTunes - Web of music at your fingertips"&gt;FoxyTunes&lt;/a&gt;&lt;/span&gt;   &lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border: 0px none ; margin: 0px; padding: 0px; position: absolute; width: 0px; display: block; z-index: -90; left: -100px; top: -100px; height: 0px;" id="autoPagerLastDiv" class="autoPagerS"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-791925133822004287?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/791925133822004287/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=791925133822004287' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/791925133822004287'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/791925133822004287'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/09/blog-post_08.html' title='スパニッシュ・アパートメント'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-8722063699384937450</id><published>2008-09-03T02:35:00.001-07:00</published><updated>2008-09-03T02:35:50.802-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='語源'/><title type='text'>左遷先はリモージュ</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　しばらく前にレスボス島の住民が、女性の同性愛者のことをレズビアンと呼ぶのをやめてほしいという訴えを起こして、それが退けられたという話が話題になりました。詳しい経緯はわかりませんが、「レズビアン」という単語がネガティヴなイメージであるという前提が認められないということがあったのではないかと思います。それでもときに固有名詞から派生した単語がネガティヴなイメージをもっていることがあります。ひとつの町の名前から派生した単語がネガティヴな意味をもっている場合、住民はどんな気持ちがするものでしょうか。&lt;br/&gt;　現代フランス語では「左遷する」のことを limoger と云います。この動詞がフランス中部のリモージュ(Limoges)の町から来ているのは知っていましたが、あらためて語源を確認してびっくりしました。何とこれは1914年の第一次大戦の初期の戦闘の後に、総司令官ジョゼフ・ジョフルによって無能な将軍が送られたのがリモージュの町だったという史実から来ていたのです。そんなに最近のこととはつゆぞ知りませんでした。1922年にプルーストが『再発見された時間』のなかでいち早くこの新語を使っています。この単語はニュースなどでも普通に「左遷する」の意味で使われていますが、リモージュの住民はどう考えているのでしょうか。&lt;br/&gt;　陶器で有名なリモージュは、リムザン(Limousin)地方の中心地です。この地名を見ると、「ではリムジンという車はここから来ているのかな」という疑問を感じませんか。事実リムジン(limousine)という単語の語源はこの地方なのですが、それでも理由はあまりはっきりしません。この単語は19世紀の半ばには羊飼いの着る羊毛のマントを意味していました。20世紀の冒頭に車を意味する用例が見られます。このふたつの語義の関係は、「全身をすっぽり包むマント」と、自動車創世期には珍しかった「しっかり全体を閉鎖された車」の比較によって説明されることがあります。しかしこういったタイプの車を発明したリモージュ生まれのシャルル・ジャントー（1843-1906）が、自分の出身地にちなんで名づけたという説もあります。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-8722063699384937450?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/8722063699384937450/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=8722063699384937450' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8722063699384937450'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8722063699384937450'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/09/blog-post.html' title='左遷先はリモージュ'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-9140558670212655836</id><published>2008-08-22T23:59:00.001-07:00</published><updated>2008-08-22T23:59:07.816-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>七番目の空</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　フランスの映画監督でまあまあ面白いひとにブノワ・ジャコというひとがいます。このひとのテーマは「女の謎」なのだそうで、ちょっと疲れます。それでも女に過剰な思い入れをするロマンチックな男から見た「女の謎」ではなく、視点はかなり皮肉なので、落ち着いて見られます。&lt;br/&gt;　いちばん面白かったのは、サンドリーヌ・キベルランとヴァンサン・ランドンが出ていた &lt;i&gt;Le Septième Ciel&lt;/i&gt; という十年ばかり前の映画です。「七番目の空」ですか。こんな話、だれが喜ぶの?というような変な話でした。ヴァンサン・ランドン演じる外科医の奥さん（サンドリーヌ・キベルラン）は地位も財産もあるお医者さんの妻、母として幸福に暮らしているようですが、実は万引き奥さんです。突然ヒステリーみたいな発作を起こしてばたんと倒れたりします。実はこのひとは不感症なのです。しかし彼女はいかにも怪しげな自称医師の催眠術師（フランソワ・ベルレアン）に出会います。それでこの催眠術の怪しい治療を受けているうちに、あら不思議、不感症も盗癖も治ってしまいます。それ以来夫はベッドで戸惑いを感じるようになり、それまでは自信たっぷりのエリート外科医だったのに、だんだん自信喪失してしまう、というおかしなお話でした。特に話の落ちはありません。彼はわけもなく自信がなくなるだけで、別にどん底に落ちるとか破滅するとかいうことはないのだけれども、それでもこの映画の後半はこの男の緩やかな「墜落」に捧げられています。私はこういう意地悪な映画は結構好きです。&lt;br/&gt;　さてこの映画の題名はどういう意味でしょうか。Je suis au ciel という言い回しが、既に「天にも昇る心地」を意味しています。Je suis au septième ciel も意味は同様です。「うっとりしている」ということです。&lt;br/&gt;　古代の宇宙生成論では、地球が宇宙の中心で、同心円状の圏が地球を取り巻いていると考えられていました。この言い回しを説明するときには、七番目がいちばん外側だと一般には考えられて説明されますが、実際には十一まであるという説もありました。この数字のなかで特に三と七が象徴的な価値をもつことになりました。そこで être au troisième ciel と être au septième ciel の両方の表現があったのですが、後者だけが生き残りました。&lt;br/&gt;　実際には地球を取り巻く圏は十一まであるという説もあったという面倒なことを云わない別の説明では、七つの圏が存在して、三番目の圏は愛の女神ウェヌス（ヴィーナス）の圏にあたり、七番目は神々の圏の手前の星々の圏ということになります。七番目の方が残ったのは、神様に近いからということになるでしょう。&lt;br/&gt;　この説をとるLINTERNAUTE というサイトの百科事典の&lt;a href='http://www.linternaute.com/expression/langue-francaise/514/etre-au-septieme-ciel/'&gt;この言い回しの説明&lt;/a&gt;には、むかしは「三番目の空」という云い方もあったが、三番目はウェヌスの圏にあたったということをそれ以上の説明はせずに書いてあります。フランス人であれば「なるほど」と思って読みますが、日本人からすると、どうして「うっとりしている」と同じ意味の言い回しが愛の女神にちなんだものだったのかよくわからないのではないでしょうか。この être au septième ciel という表現は、普通に「天にも昇る心地」の意味でも用いられますが、オルガスムに達するという意味でも用いられます。日本ではヴィーナスといえば、ボッティチェリの絵を思い浮かべたりと妙にハイソになってしまうが、フランスではこの女神は性的快楽の神様でもありました。&lt;br/&gt;　Etre au septième ciel は、無邪気なひと、まじめなひとは普通の意味で使い、屈折したエッチなひとはくすくす笑ってしまうようなそんな表現のひとつです。ブノワ・ジャコの映画の題名の場合は、当然性的なものを含意しています。&lt;br/&gt;　こんな変な映画の撮影をきっかけにしてサンドリーヌ・キベルランとヴァンサン・ランドンは結婚したというのだから世のなかわからないものです。ちなみに Kiberlain という苗字は明らかにブルトン（ブルターニュ）系です。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-9140558670212655836?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/9140558670212655836/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=9140558670212655836' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/9140558670212655836'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/9140558670212655836'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_22.html' title='七番目の空'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-9134592226959773055</id><published>2008-08-20T19:31:00.001-07:00</published><updated>2008-08-20T19:31:46.031-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>31日の衣裳</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　数字に関する言い回しは何語でも外国人にとってむずかしいものです。「嘘八百」とか「四の五の云わずに」という表現までマスターしている外国人はなかなかいないでしょう。しかもこれを説明するとなるとひと苦労です。私はどうして「嘘八百」なのかとかどうして「五の六の」ではだめなのかと聞かれてもまったくわかりませんね。&lt;br/&gt;　フランス語に数字を含んだ不思議な表現があります。ここでは être sur son trente-et-un という表現について考えてみましょう。「いちばんいい服を着ている」、「おめかししている」という意味です。Tu es sur ton trente-et-un! というと「めかしこんでるねえ!」ということです。どうしていちばんいい衣裳が31なのでしょうか。&lt;br/&gt;　非常によく聞く意見、「先生も走るから師走」のような民間語源説によれば、12月31日には一年でいちばんめかしこむからだというのですが、これは語源学的には正確なものではないようです。&lt;br/&gt;　学者めかした眉唾の説も古くからありまして、たとえば trentain という高級の織布からこの言い回しは来ているということが主張されました。この織物は 30×100程度の本数の糸で織られていたそうです。しかしこの単語は古くから死語であったため、この説は信用に足るものではありません。あるいはトランプのゲイムで「31」というものがあり、そこから来たという説もあります。&lt;br/&gt;　しかし同じ意味を表す言い回しが必ずしも31という数字を使っていなかったという事実が、これらの仮説を否定します。たとえばラルシェーは1872年の俗語辞典で、1833年の「36」という数字を使った用例を挙げています。あるいは1793年の用例では、「18」という数字が用いられているそうです。&lt;br/&gt;　18も36も9の倍数です。フランス語で9は neuf、すなわち「新品」と同じ単語です。つまり18というのは「二倍新品」ということば遊びで、36はさらにその二倍新しいということになります。論理的には36が使われていてもよさそうなのですが、ここで上に云った「31日」にめかしこむという発想が働いて「31」になったということなのではないでしょうか。&lt;br/&gt;　ゴンクール兄弟の日記には「32」を用いた例があり、バルザックは「51」を用いているそうです。こういった例においては、数字はただ強調的な価値をもっているだけで説明はできないということのようです。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-9134592226959773055?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/9134592226959773055/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=9134592226959773055' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/9134592226959773055'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/9134592226959773055'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/31.html' title='31日の衣裳'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-4722172573173601317</id><published>2008-08-15T00:50:00.000-07:00</published><updated>2008-08-16T18:26:10.500-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>あら、まちがった</title><content type='html'>&lt;div align="justify"&gt;　フランス語のくだけた表現で、「まちがっちゃった」という意味の Autant pour moi! という言い回しがあります。Autant は「同じくらい」という意味ですから、意味がわからないと、「私もそうです」と訳してしまいそうですね。「私にも同じくらいお願いします」というのも誤訳 です。「まちがった」とはいっても謝るニュアンスはなく、ちょっとふざけたような照れ隠しの感じです。&lt;br /&gt;　それにしても、この言い回しをどのように分析すると「まちがった」という意味になるのでしょうか。よくわかりません。&lt;br /&gt;　これに似た表現に Autant pour les crosses! というものがあります。これは「やり直し!」という意味で、軍事教練のときに先生が叫ぶ命令から来ています。Crosses は銃床ということで、私にはよくわからないけれども、動きと音が合っていないときにそれを合わせろという意味で使われることばが元になっているのだそうで す。よって crosses も同時に、という意味なのですが、本当は au temps の方が正しかったらしいです。「タイミングを合わせろ」と云っているのが、「同じようにしろ」と勘違いされて、同じ発音の autant に変ったということなのだそうです。軍人が無教養であることを如実に表す表現です（うそ）。&lt;br /&gt;　さて問題の Autant pour moi! ですが、この言い回しの起こりはちょっと複雑です。つまり軍人の間から来た Autant pour les crosses! 「やり直し!」という言い回しがあり、これをもじってこの Autant pour moi! 「まちがっちゃった!」ができたということになります。しかし、Autant pour les crosses! の方は、「タイミングを合わせろ」という意味の Au temps pour les crosses! という、本来であれば正しいはずのつづりに戻すと言い回しが説明できるものの、これを Au temps pour moi! としても依然として意味は分析できません。こういうものだと考えるしかないでしょう。もしこの表現が「私も同じだ」ということを云っているとしたら、それは「やり直し!」という表現に対してだということになります。「私もやり直さなければならない」ということですが、あまり論理的ではありません。&lt;br /&gt;　Autant pour les crosses! は、autant が au temps と発音が同じなので混同されたものですが、これと似ていても少しちがう事例があります。Sens dessus dessous は「さかさま」ということで、sens はここで「方向」を意味するようですが、奇妙なことにこの言い回しにおいてはこの単語の最後のSは発音されません。どうしてSが発音されないかというと、 これは古い表現 c'en dessus dessous から来ているからなのだということです。現代フランス語の表記としては sens dessus dessous が正しいとされますが、この表現が「上も下もない」という意味だと理解されると、sans dessus dessous と書かれることもあります。Sans の方はもともと最後のSを発音しないので、こちらのつづりの方が論理的だと考えられてしまう場合もあるようです。将来的にはこちらのつづりの方が正しいと いうことになってしまうかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt; &lt;div style="border: 0px none ; margin: 0px; padding: 0px; position: absolute; width: 0px; display: block; z-index: -90; left: -100px; top: -100px; height: 0px;" id="autoPagerLastDiv" class="autoPagerS"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-4722172573173601317?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/4722172573173601317/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=4722172573173601317' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4722172573173601317'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4722172573173601317'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_15.html' title='あら、まちがった'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-5323526848608970141</id><published>2008-08-10T04:37:00.001-07:00</published><updated>2008-10-31T04:16:48.094-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='読み方'/><title type='text'>エリックさんの名前</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　（「&lt;a href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/10/blog-post_31.html'&gt;続報&lt;/a&gt;」があるので、そちらもあわせてお読みください。読み方についてはカタカナによる音訳で表記します。最初から結論がほしいひとは最後のPSだけ見ればいいです。）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　むかしフランス語合宿のアルバイトをしたときに、今も日本にいらっしゃるのかどうかはわからないけれども、Brochen さんという方が講師で来ていました。パンフレットには名前がブロシャンと書いてあって、協会のひともブロシャンさんと呼んでいたのだけれども、本人に「ブロシェンと読むんじゃないんですか」と聞いたら、確かにブロシェンだけどみんなにブロシャンと呼ばれるからそのままにしているし気にしないと云っていました。フランス語の一般的な規則によると、en はアの鼻母音になるでしょうが、この場合はブルターニュ系の苗字なので「エン」になります。フランス人の固有名詞の読み方はむずかしいものですが、だいたい何系の名前か見当がつけられるようになると、わりと簡単に読めるということが云えるかと思います。コメディアンに Yvan Le Bolloc'h （イヴァン・ル・ボロック）というひとがいて、このアポストロフは何だ！と思うけれども、これもブルターニュ系の苗字です。私の友人には Ronarc'h （ロナルク）というひとがいます。生半可なひとは勝手にまちがいだと思ってアポストロフをとってしまいがちです。&lt;br/&gt;　日本では漢字の読み方が教養だとみなされているので、ひとの名前の読み方についても、ときに必要がないほどに厳しいひとがいますが、フランス人はさほど気にしないようです。フランス人の名前でない場合にはさらにその傾向がはなはだしいようです。カラジッチが逮捕されたときも、テレビやラジオのニュースでは、アナウンサーはカラジッチと云い、レポーターはカラジックと云うというようなことがよくありました。クストリツァのことをクストリカと呼んでいる映画評論家がいたときに、司会者が「クストリツァというんじゃないですか」と聞くと、「本人といっしょに食事をしたことがあるけれどもクストリカでいいと云っていました」と答えていました。日本人は自分の耳に聞こえるようにカタカナで書くのが正しいと思っているようです。それでも、特にフランス人がそうだと云うことが云えるのかどうかはわからないけれども、案外字が目に見えるように発音すればいいと思っているひとは多いものです。私はわりとそういう感覚です。&lt;br/&gt;　ルイ・ド・フュネスとブールヴィル主演の、フランス人ならだれでも知っているコメディ映画に &lt;i&gt;Le Corniaud&lt;/i&gt; というものがありますが、このなかでルイ・ド・フュネスが演じるのが、Monsieur Saroyan です（これはアルメニア系の苗字なんでしょうか）。しかしこの名前が映画のなかでひとによって「サロイヤン」とも「サロワヤン」とも呼ばれるのです。ここにはおそらく何の演出上の意図もありません。日本人にはこの辺の感覚はなかなかよく理解できないでしょうね。ちなみにド・フュネスはド・ゴールとともに、苗字にドをつけて呼ばれる珍しい例です。&lt;br/&gt;　それでも小泉元首相の名前が「ユニシロ」とか、Scorsese を「スコルチェーゼ」と読むのはどういうものかと思います。何でもフランス語風の読み方で通すのなら理解できるけれども、Jをイの半母音で読むのはドイツ語だろうし、イタリア語でチュの音になるのはCであって、Sではありません。でも「スコルチェーゼ」と発音する評論家はヴェテランで、ずっとこの発音で通しているので、だれも気にしないのかもしれません。&lt;br/&gt;　最近ラジオでへえと思ったのが、Eric Woerth の名前の発音です。最近目立ってきているUMPの政治家で、現在予算担当大臣です。フランス語風に読めば、verte と同じヴェルトという読み方になるでしょうが、ラジオのニュースでは、最後の th を「ス」で発音していました。英語風の th の発音をフランス人がふだんすることは滅多にありませんから、Sの音でした。Rは子音を発音していたけれども、私がカタカナで書くとヴァースという感じでしょうか。（ラジオのニュースの発音が正しいと云うわけでも、必ずしも本人が望む読み方だと云うわけでもないでしょう。「ス」ではなく「ト」と発音されるのも耳にします。ラジオのニュースなんてしょっちゅうまちがっているものですが、とりあえず私が聞いた発音の話です。）&lt;br/&gt;　ちょっと脱線します。これはなかなかわかっていないひとが多いのだけれども、フランス語では œ は後に他の母音がつづかない場合はエの音になるのが規則です。フランス人がよくまちがって考えているので、フランス人のまちがった発音が正しいと思い込んでしまう場合がままあります。たとえば œnologie, œcuménique などの単語は、「エノロジー」「エキュメニック」という風に読まれるべきです。日本でまじめにフランス語を勉強しているひとにとっては、何をいまさらという知識ですが、しかし実際にフランスに行ってみると、この「正しい発音」は死んでいるのです。ほぼ正しい発音をしているひとはいないと云えます。みんなこの œ をオとエの中間音、カタカナではしばしばウで転写される音で発音しています。フランス人よりも正しいフランス語を話す日本人としての自信がなければ、自分がまちがっているのではないかと不安になりかねません。Fœtus や cœlacanthe に関してはまだ正しい発音が生きていますが、fœtus に関してはまちがった発音をするひとも出てきているようです。&lt;br/&gt;　この Woerth さんの名前では、固有名詞だからまったくまちがっているのではないですが、オとエの中間音が発音されています。だから慣習的なフランス語のカタカナ表記を尊重しつつ、th はスと書くと、カタカナでは「ヴルス」という感じになるのかもしれません。この名前が何系なのかは私にはわかりませんが（勘ではオランダ系）、「ヴルス」よりも「ヴァース」の方がこの発音の雰囲気が出ていると思います。Star という単語はフランス語ではRを発音するけれども、かといってカタカナで「スタール」と書くべきだと思わないし、surfer (surfeur) だってもしこれをカタカナで書かなければならないというのなら、別に「サーファー」でいいのではないか。もしオランダ系という勘があたっていたとしても、オランダ語でRやTHをどう発音するかなんて全然知りませんが、私の感覚では「ヴァース」です。何も私が正しいと云っているんじゃありませんよ。とりあえずこの Woerth という名前の発音は「フランス語の知識」で読める「ヴェルト」というものではないと。もっともこれをちゃんとフランス語の verte と同じ発音で呼んだら、本人は自分が呼ばれているとわかるでしょうけど。だから私はエリック・ヴェルトというカタカナ表記を見かけたとしてもきっとばかにしませんよ。&lt;br/&gt;　まとめとしては、私は雰囲気を重視してエリック・ヴァースと書きたいところだが、慣習に近いカタカナ表記を試みるとすると、エリック・ヴールス、ヴルスという書き方になることでしょう。もしフランスでこのひとの名前の th が「ス」と発音されることを知らなかったとしたら、ヴールト、ヴルト、ヴェルトなどといった書き方がありえるでしょう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;P.S. ラジオやテレビの発音の大勢は「ス」ではなく「ト」ですね。いちばん無難なのは、「エリック・ヴールト」かなあ。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class='autoPagerS' id='autoPagerLastDiv' style='border: 0px none ; margin: 0px; padding: 0px; position: absolute; width: 0px; display: block; z-index: -90; left: -100px; top: -100px; height: 0px;'/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-5323526848608970141?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/5323526848608970141/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=5323526848608970141' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/5323526848608970141'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/5323526848608970141'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_10.html' title='エリックさんの名前'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-7839909724174548568</id><published>2008-08-04T09:13:00.000-07:00</published><updated>2008-08-04T09:14:04.010-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ことわざ'/><title type='text'>不可能という文字</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　フランスの Causeur というサイトのRSSをフィードしているのですが、今日 Impossible Napa français という記事があって、何の話かと思ったら、あるフランス人の富豪がカリフォルニアワイン産地のナパ・ヴァレーというところのいちばんいいブドウ園を買ったのだそうです。何とアメリカの誇る高級ビールバドワイザーはベルギー人に買収されたのだそうです。コカコーラの重役もうかうかしていられない、古いヨーロッパに気をつけろよ、なんてことを書いています。&lt;br/&gt;　この記事の題名は、Impossible n'est pas français ということわざのもじりです。フランスの雑誌の記事はともかくもじりばかりです。これはナポレオンが云ったとされる「我輩の辞書に不可能という文字はない」ということばです。日本では「ナポレオンのことば」ですが、フランスではそこから来たとされることわざ風の言い回しです。「不可能はフランス語ではない」と云っています。だいたいはこの記事のように（この記事ではこのことわざそのものは使っていませんが）皮肉な意味で用いられます。とてもむりなことを「やればできる！」と云われたときに皮肉をこめた愚痴として使えることばです。日本でそういう場合に「我輩の辞書に不可能という文字はない」と云っててみても何のことかよくわかりませんが。&lt;br/&gt;　時節柄、「これはフランス語で何というのだろう」と思いがちなことばに、「参加することに意義がある」というものがあります。これは "L'important, c'est de participer." と云います。「大切なのは参加することである」ということです。こう云ってみても、「参加することに意義がある」ということばとあまり意味がちがうようには思えません。クーベルタン男爵はこのことばを苦しまぎれに云ったということが云われています。&lt;br/&gt;　しかし、ロミー・シュナイダー主演の映画に &lt;i&gt;L'important c'est d'aimer&lt;/i&gt; （アンジェイ・ズラウスキー監督）という映画がありますが、この場合は「大切なのは愛することである」と「愛することに意義がある」ではずいぶん意味がちがうような気がしますね。日本語版のウィキペディアでロミー・シュナイダーを見てもアンジェイ・ズラウスキーを見てもこの映画が載っていないのだが、どういうことなのかしら。それではアルモドバルの『母の総て』の最後でオマージュをささげられている「女優を演じた女優」のなかにロミー・シュナイダーの名前が入っている意味が日本人の観客にはわからないということなのか。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7839909724174548568?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7839909724174548568/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7839909724174548568' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7839909724174548568'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7839909724174548568'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_04.html' title='不可能という文字'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-4858351114662466775</id><published>2008-08-03T19:47:00.000-07:00</published><updated>2008-08-03T19:48:02.715-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>写真はない</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　数年前まで民放テレビ局のTF1に Y a pas photo という番組がありました。見たことはありません。TF1の番組の例にもれずつまらない番組だったということです。でもフランス語を学ぶ日本人にとっては番組がおもしろかったのかつまらなかったのかは問題ではないでしょう。この題名はどういう意味なのでしょうか。&lt;br/&gt;　この文は破格の文のようにみえます。でも (Il n')Y a pas photo のかっこのなかが省略されているのは問題ではありません。口語ではこれを省略した Y a pas は頻繁に用いられます。むしろ気をつけなければならないのは、photo の前に何もついていないということです。もしここにたとえば de がついていたとしたら、これは「写真がない」という不在を意味する文になりでしょう。&lt;br/&gt;　しかしここでは de がついていません。このような破格の構文はよく特別な意味をもった言い回しである場合があります。こういうことに鼻が利くようになったらしめたものです。まだ鼻が利かないひとでも、フランス語を勉強しているひとなら、これは知っておいて損のない言い回しでしょう。この言い回しについては、Il n'y a pas photo と云うのはかまいませんが、Il n'y a pas de photo, Y a pas de photo とは云いません。De がついている後者は普通の言述です。&lt;br/&gt;　Y a pas photo は競馬から来た言い回しです。ゴールの写真判定が必要ないということです。すなわちこの言い回しは「ちがいは歴然」ということを云っています。ひとの力量の差などについてよく用いられます。カリスマ性のあるきらきらした女優さんと、顔形は整っているがぱっとしない女優さんが共演している映画を見たときに、この言い回しを使った友人がいました。ちなみにその映画は &lt;i&gt;La vie rêvée des anges&lt;/i&gt; です。日本でやったのかどうかは知りません。当然よかったのはエロディー・ブーシェーズの方ですよ。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-4858351114662466775?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/4858351114662466775/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=4858351114662466775' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4858351114662466775'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4858351114662466775'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post_03.html' title='写真はない'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-7162055623247638258</id><published>2008-08-02T01:43:00.001-07:00</published><updated>2008-08-02T03:23:29.296-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>フランス人は屁をひるか</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　結論としては、フランス人も屁をひります。この問いのヴァリエイションとして「ではフランス人の女の子は屁をひるのか？」という質問も成り立ちますが、これはよくよく考えてみると「女の子は屁をひるか？」と同じ質問なので、永遠に答えの出ない問いだと云えるでしょう。それではフランス人は日本人よりも頻繁に屁をひるのでしょうか。実際に放屁することが多いかどうかは別として、ことばの面では「屁をひる」(péter)ということばはより頻繁に使うと云えます。&lt;br /&gt;　たとえば péter les plombs という表現があります。「鉛の屁をひる」と訳して「さすがフランスはシュルレアリスムの国」と考えるのは日本人の得意技です。もうちょっと落ち着いて調べてみましょう。&lt;br /&gt;　フューズのなかには鉛の線があります。ここに一気に強い電流が流れると、鉛の線は溶けてショートを起こします。この表現において「屁をひる」(péter)は「爆発する」という意味で、フューズが飛ぶことをもとは意味していたと考えられます。しかしこの表現はいらいらして耐えられなくなって爆発するときに用いられます。「頭がおかしくなる」という意味でもつかわれます。フランス人に Tu pètes les plombs! と云われたときに、「おならなんかしてないわよ！」と怒らないように。さらに状況を悪化させることになります。&lt;br /&gt;　それではこれ、日本語の俗語で云うと「きれる」という意味なのかな？という気がしますね。それでも私は「きれる」はむしろ péter un câble の方じゃないかと思うのです。Péter les plombs は神経にかかるストレスの末におかしくなる、たとえばオフェリアのように飛んでいってしまった感じがしますが、péter un câble は太い「鉄線」が両端から引っ張られて過負荷の末にまさに「切れる」ということで、激怒、逆上を意味します（ニュアンスのちがいの話で、このふたつの表現はよく似ています）。当然「ケイブル」が切れるともう「話ができない」ということも連想できるでしょう。これは péter une durite ととも云いますが、durite は「ゴム管」です。やはり何かと何かをつなぐものが切れてコミュニケイションがなくなるという発想があります。&lt;br /&gt;　無根拠にえらそうな味気ないひとのことは pète-sec と云います。乾いた屁をひるということかしら。湿った屁よりはましかもしれません。一方的に命令するひとのことです。「あれしろ」「これしろ」と短く素気ないことばを屁のように吐き出すひとです。『ニノチカ』の前半でのグレタ・ガルボは雰囲気として何だか pète-sec な感じがします。&lt;br /&gt;　同系列の単語。「屁」は pet （「ペ」）ですが、「爆竹」は pétard です。この単語はハシッシュたばこやマリフアナたばこのことも意味します。Joint とも云います（「ジョイント」じゃなくて「ジョワン」です）。「六時ぴったり」と云うときに、six heures pétantes と云ったりします。時計がおならのようにプップッと鳴っている感じがしてほほえましいですね。&lt;br /&gt;　フランスに勝手なイメージを抱いて渡ってみても、「屁をひる」ということばを平気で使うフランス人のあまりの下品さに深いショックを受けて頭がおかしくなる日本人がいるそうですが、こういうひとは Elle (ou il) pète les plombs! とフランス人に云われてしまうのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border: 0px none ; margin: 0px; padding: 0px; position: absolute; width: 0px; display: block; z-index: -90; left: -100px; top: -100px; height: 0px;" id="autoPagerLastDiv" class="autoPagerS"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7162055623247638258?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7162055623247638258/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7162055623247638258' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7162055623247638258'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7162055623247638258'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/08/blog-post.html' title='フランス人は屁をひるか'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-8996903854807567569</id><published>2008-07-26T19:00:00.001-07:00</published><updated>2008-07-26T19:00:15.234-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='語源'/><title type='text'>生まれる人々</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　共通の語源をもったフランス語の単語を集めてみると、ぼんやりとだけれども、フランス語の発想がわかって面白く感じられます。今回は &lt;i&gt;*gen(e)-, gne-&lt;/i&gt; 「生み出す」「生まれる」という印欧語の語根をもった単語を、網羅的にではないけれども、列挙してみましょう。&lt;br/&gt;　1.　まずは &lt;i&gt;gen-&lt;/i&gt; という語根をもつもの。ルネサンス以前からフランス語のなかで用いられていたラテン語起源の「民衆語」あるいは「半民衆語」から。&lt;br/&gt;　いちばん代表的な単語は gens （人々）。「憲兵さん」の gendarme は gens d'armes から来ています。「武器をもった人々」ですが、もとは「騎兵さん」のことを意味していました。&lt;br/&gt;　「婿」は gendre。「やさしい」は gentil ですが、もとは「高貴な生まれ」です。この単語は「異教徒」も意味することがありますが、起源がちがい、こちらは学者語です（聖書の翻訳から来ているはず）。「生み出す」は engendrer。面白いものでは、néant 「無」が &lt;i&gt;ne gentem&lt;/i&gt; 「生きているものではない」から来ています。語源学においてもみんなが意見が一致するということはなく、これは &lt;i&gt;nec entem &lt;/i&gt;「存在しない」から来ていると考える向きもあるようです。それでも後者はラテン語の哲学用語であったことから、ルネサンス以前にこれが民衆に用いられることはありえないのではないかと考えられているようです。&lt;br/&gt;　ルネサンス以後に現れる学者語も数が多いです。「無邪気」を意味する ingénu はもともと「自由なひと」を意味していました。「精」「天賦の才能」は génie。これの形容詞が génial で「すばらしい」というような意味でよく用いられます。「現地人」は indigène。何が悲しゅうてフランス映画の題名を英米の映画配給会社が決めたにちがいない英語の題名のカタカナ表記にしなければならないのか、意味も理由もわからないが、『現地人』 &lt;i&gt;Les Indigènes&lt;/i&gt; という映画の「日本題」は『デイズ・オブ・グローリー』になっています。フランスの植民地であったアルジェリア人がフランスのために闘う、という題名に込められた意味が完全に無視されておりますなあ。しかもこの映画の監督はラシッド・ブシャレブ(Rachid Bouchareb)というひとなのに、なぜかカタカナはブシャールと何だか「フランス風」に変えられています。何か理由があるんですか。&lt;br/&gt;　「世代」は génération。「再生させる」régénérer。「退化する」dégénérer。「一般的」général。「寛大」généreux。&lt;br/&gt;　「親」géniteur。「生殖に関する」génital。&lt;br/&gt;　2.　別の語根 &lt;i&gt;gna-&lt;/i&gt; から生じた単語。民衆語、半民衆語から。&lt;br/&gt;　「生まれる」が naître とその系列語、「誕生」naissance、「再生」renaissance。ひとの名前の「ルネ」René も同根です。「年上」aîné、「年下」puîné。「生れつき」inné、「素朴」naïf。フランス語でこの単語 naïf (女性形は naïve)は日本でいう「ナイーヴ」の意味とはかなりちがっていて、「ばか（何もわかっていないひと）」の意味でもつかわれるので注意しましょう。日本で「素朴」「純情」の意味ではなく「デリケイト」の意味で「ナイーヴ」を使うひとがいるのはいったい何なのか私にはよくわからない。英語ではそういう意味で使うんですか？ たとえそうだとしても「デリケイトな問題」のことを「ナイーヴな問題」と云いたい理由がわからない。「クリスマス」は Noël。&lt;br/&gt;　学者語。「自然」は nature。ここから派生した単語はたくさんありますが、省略。「国家」は nation。これも派生語を省略。&lt;br/&gt;　3.　ギリシア語起源の学者語では、généalogie 「系譜」。「遺伝学」は génétique。「遺伝子」は gène。「よい」を意味する接頭辞 eu- をつけた形から生じた eugénisme は悪名高き「優生学」。当然 genèse 「創世」もギリシア語起源。ギリシア語起源の学者語には、いかにも「学者語」というものが多く見られます。&lt;br/&gt;　日本語での「和語」「漢語」「外来語」をつかいわける発想と、フランス語の「民衆語」「学者語」のちがいを比べてみると面白いのではないでしょうか。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-8996903854807567569?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/8996903854807567569/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=8996903854807567569' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8996903854807567569'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8996903854807567569'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_26.html' title='生まれる人々'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-4493891747719992890</id><published>2008-07-21T21:06:00.001-07:00</published><updated>2008-07-22T00:40:07.270-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='語源'/><title type='text'>売春の発想</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　18世紀の好色文学小説のなかでは、se prostituer という単語は必ずしも「売春する」の意味で使われてはいません。そこに金銭のやりとりがないために、訳してみれば「からだを汚す」というような感じになるような場合があります。「売春」(prostitution)の語源は何でしょうか。&lt;br /&gt;　これらの単語、prostitution, se prostituer は、非常に多くの単語を派生した印欧語の語根 &lt;i&gt;*sta-&lt;/i&gt; 「立っている」から来ています。&lt;br /&gt;　とても網羅的に列挙することはできませんが、この語根から派生した単語には、代表的なものに、état, coûter, ôter, rester, arrêter, contraste, statistique, station, statue, instant, substance, stable, assister, exister, résister, destin, instaurer, restaurer, système, stade などがあります。なかにも &lt;i&gt;-stit-&lt;/i&gt; という構成要素をもつ単語の数は多く、constituer（構成する）、instituer（制定する）、substituer（置きかえる）、restituer（返還する）、destituer（免職する）などの動詞、ならびにそれぞれ &lt;i&gt;-tion&lt;/i&gt; で終わる名詞があります。「売春」se prostituer, prostitution はこのグループに属します。&lt;br /&gt;　この &lt;i&gt;-stit-&lt;/i&gt; という形のラテン語の語源は &lt;i&gt;status&lt;/i&gt; （立ち位置）から派生した &lt;i&gt;statuere&lt;/i&gt; （置く、建てる、設立する）という動詞です。「売春」の構成要素 &lt;i&gt;pro-&lt;/i&gt; は「前に」を意味します。つまりこの単語の語源的な意味は「前に置く」ことだと思われます。「人目にさらす」ということです。ラテン語でも既に &lt;i&gt;prostituere&lt;/i&gt; という単語は「売りに出す」という意味、さらにそれが転じて「売春」の意味をもっていました。売店で商品を陳列するという意味が売春の意味に変ったのではないでしょうか。ラテン語にも「名誉を汚す、おとしめる」の意味がありました。日本語でこの単語の発想をよくうつしているのは「たちんぼ」ということばでしょうか。&lt;br /&gt;　売春の哲学をジュリエットに吹き込むデルベーヌ夫人は、魂の存在を否定するときにこう云っていました。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;　これほど多くのひとが精神的実体に対して与える評価は、わかりやすい仕方で定義することの不可能性をしか動機としてもっていないように思われる。神学者が物質をあまり重視しないのは、親しみが軽蔑を生むということしか理由がない。彼らが魂は身体よりもすぐれていると言うとき、いかなる意味でも知られていないものは、いくらかぼんやりした観念をもっているものに比べてより美しいということ以外は何も言っていない。&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　売春に対する軽蔑の理由はこのような発想にあるでしょう。謎として考えられたときに女性は高貴なものとなり、人目にさらされた謎をもたない女性は軽蔑の対象となるのです。&lt;br /&gt;　実に奇妙なことに、美徳に満ちたロマンチックな19世紀は18世紀末のサド侯爵の無神論を完全に「乗り越える」ことになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;P.S. 聖アウグスティヌスは、もし娼館がなくなったら、男がそこで解消している情熱が世のなかにあふれて大変なことになるから、娼婦という低劣な存在は低劣な状態にとどまっているべきなのだと云って、カトリック教世界における娼館の存在を基礎づけました。私が憎むのはこのような発想であり、売春に対して好意的なわけでも否定的なわけでもありません。アプリオリに売春婦を軽蔑するのはまちがいだと云っているだけです。それにしばしば「浮かれ女」が男の主人公の人生の踏み台であるような19世紀の文学世界よりは、フージュレ・ド・モンブロンの『修繕屋マルゴ』が客に対して嫌悪感を抱きながら金をまきあげ、ネルシアの『フェリシア』が自由な性道徳のもとに気ままに幸福に生きる18世紀の世界の方が、私にはまっとうなものに思えます。しかし19世紀の世界はこのような革命前の世界の性風俗を描いた小説をすべて禁書にしていたのです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-4493891747719992890?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/4493891747719992890/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=4493891747719992890' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4493891747719992890'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4493891747719992890'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_21.html' title='売春の発想'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-8203553062970553823</id><published>2008-07-19T02:26:00.001-07:00</published><updated>2008-07-21T21:16:59.299-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='アイディア'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訳語'/><title type='text'>気くばりのすすめ</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　仏和辞典を見てもどうしても訳語がしっくりとこない場合がよくあります。たとえば Merci pour votre générosité という文をどのように訳したらいいでしょうか。仏和辞典によると、générosité は「寛大さ」「気前の良さ」とあります。しかしプレゼントを贈った後のお礼状にこのように書いてあるのを、「寛大さをありがとう」「気前のよさに感謝します」と訳すのはどうもおかしいと思われます。&lt;br /&gt;　確かに意味はちがうのですが、この単語を「気くばり」あるいは「心くばり」とすると、日本語としての通りがよくなります。「お心くばり（お心づかい）どうもありがとうございます」とすると、すんなりと理解ができます。この「気くばり」「心くばり」をフランス語にするのも難しいので、これを générosité にしてみると通らないでしょうか。やはり意味合いはずいぶんちがって、「これで納得!」というわけにはいかないけれども、アイディアとしては悪くないのではないかと思います。&lt;br /&gt;　日本語は無償の気持ちで「あたえる」ことをうまく表せない言語なので、この「気前よさ」を訳すのがむずかしいのですが、相手からもらったものがいいものであったということに重点を置くと、たとえば「もったいないものをどうもありがとうございます」というようなものの言い方になるかと思います。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-8203553062970553823?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/8203553062970553823/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=8203553062970553823' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8203553062970553823'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/8203553062970553823'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_19.html' title='気くばりのすすめ'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-6248855837388147797</id><published>2008-07-17T22:42:00.001-07:00</published><updated>2008-07-17T22:42:34.048-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='類義語'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>悪魔さまざま</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　神様に比べると、悪魔のイメージははっきりしません。神様の使いには天使がいるけれど、悪魔にも使いがいるのかしら。「天使か悪魔か」と云うときには、anges ou démons と云います。するとこの démon というのは悪魔の使いなのでしょう。こういった複数いる悪魔の使いの親玉はだれだったかなあ、と考えてみると、そうか、サタン(Satan)というのが親玉か、と思い当ります。この Satan という単語は大文字ではじまって固有名詞扱いだから普通の辞書には載っていなくて、固有名詞辞典の方に載っていたりするのだけれども、だからといって、固有名詞辞典の記述が豊富で役に立つ、ということもないのです。何ものなのかよくわかりません。&lt;br/&gt;　そうか、démon はサタンにとって神様に対する天使のような存在なのか、と思ってみると、それでは diable というのは何ものなのか、と疑問を感じないではいられません。アシェット類義語辞典によると、diable は「人間をあざむこうとする悪意のある超自然的な存在」で、démon は「キリスト教の意味では diable の精神、あるいは複数形で diable の使い、その共犯者である堕天使。複数形の diables はときに肉体をもったものとして現される démons を云う」ということです。それでは単数形の diable というのは Satan のことなのでしょうか。Satan は「diable の名前。神と敵対する地獄の支配者として考えられる」ということです。悪魔の名前には他にもいろいろあります。たとえば Lucifer は「堕天使の傲慢なリーダーとして考えられたサタンの名前」だそうです。ルシファーはサタンと同じものだったんですね。&lt;br/&gt;　現役最重要の歴史学者のひとりロベール・ミュシェンブレッドの著書『悪魔史の試み』の原題は &lt;i&gt;Une histoire du diable&lt;/i&gt; です。これを démon に置き換えることはたぶんできないでしょう。複数形にして &lt;i&gt;Une histoire des démons&lt;/i&gt; なら可能でしょうが、ちょっとニュアンスがちがいます。Diable は悪魔性があるものを全部ひっくるめて表象できますが、démons はやはり天使と対応する悪の使いの存在のイメージをもっています。&lt;br/&gt;　フランス語源学のなかには「民衆語」、「学者語」、「半学者語」という概念があります。「民衆語」は「口頭で伝えられてきた語」、「学者語」は「書物から借用された古典言語の単語」、「半学者語」は「学者語の影響によって変更を加えられた民衆語、あるいは借用の後に口頭で変化した学者語」を意味します。イメージでいうと、「民衆語」と「学者語」のちがいには、日本語における「和語」と「漢語」と呼ばれるもののちがいと似たようなものがあります。「学者語」の方が「民衆語」よりも具体的な制限された意味合いを示します。「悪魔」を意味する diable と démon については、前者が民衆語で、後者はルネサンス期にギリシア語 &lt;i&gt;daimôn&lt;/i&gt; （ラテン語では daemon）からとりいれられた学者語です。17世紀には diable という民衆語が滑稽なものと感じられていたので、démon は「悪魔」を意味する品のいい単語として用いられることになりました。&lt;br/&gt;　このような歴史的な経緯から想像がつくように、diable という単語を含んだ口語表現の数は非常に多いけれども、démon の方はあまり固定化した言い回しのなかでは用いられません。「真昼の悪魔」(démon de midi)はそのあまり数が多くない言い回しのうちのひとつですが、これも聖書からの引用が元になったもので、民衆が口頭でつくりあげてきた表現とはいささか質を異にします。&lt;br/&gt;　「まったく!」というときに Diable! ということは可能ですが、Démon! といっても何の意味もなしません。Diable の方は、いろいろな意味の言い回しのなかで本来の「悪魔」の意味を失っていることがしばしばあります。(Avoir) le diable au corps という表現は「肉体の悪魔をもつ」ではなくて、「超人的なエネルギーをもって働きまわる」ことを意味します。「まるで悪魔にとりつかれたかのようだ」という発想がもともとはあったと考えられますが、ここにいる悪魔は悪を働く悪魔ではなく、ただ超人的な力だけを意味しています。それでもラディゲの小説の題名は『絶倫』ではありません。&lt;br/&gt;　18世紀末フランスのポルノ作家アンドレア・ド・ネルシアの &lt;i&gt;Le Diable au corps&lt;/i&gt; という小説では、マラソンのようにセックスに明け暮れるまさに絶倫の登場人物たちがこの「肉体の悪魔」をもっていると云われています。激しさ、エネルギーだけではなく、この小説のなかでこの言い回しはエロチックな価値を背負わされています。レーモン・ラディゲが後にこの表現を、普通に理解される「超人的なエネルギー」という意味とはちがうエロチックな意味で用いたのは、案外ネルシアの小説の影響下だったのかもしれません。もっとも、もしネルシアを読んでいたとしたら、同じ題名の小説は書かなかったのかもしれないとも考えられます。ネルシアには興味があるけれども、まったくラディゲにくわしくない私は事情を知りません。&lt;br/&gt;　アラン・レーの「フランス語表現・言い回し辞典」では、ラディゲの例では corps は chair、diable は désir を意味していると断られています。それでもこの「悪魔」を日本語訳で「欲望」と単純に言い換えることができるでしょうか。アラン・レーの解釈に従うと、この小説の題名は『肉慾』になります。それでも diable は騒ぎたてるものなのですから、日本語でニュアンスを表そうとすると『肉のうずき』という感じになるのではないかと思います。理性によっては支配できない、からだのなかの異質なエネルギーという価値をこの「悪魔」という単語は含意していると考えることができるでしょう。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-6248855837388147797?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/6248855837388147797/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=6248855837388147797' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6248855837388147797'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6248855837388147797'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_17.html' title='悪魔さまざま'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-7977067712315526011</id><published>2008-07-16T23:06:00.001-07:00</published><updated>2008-07-16T23:58:05.859-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>真昼の悪魔</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　80年代フランスのくだらないヒット曲で非常によく耳にするものに「真夜中の悪魔」(Les démons de minuit)なるものがあります。これはトゥールーズ出身のイマージュというグループによるヒット曲で、数年前からこのグループと、もうひとつの80年代フランスのグループ、ゴールドの元リーダーのエミールがいっしょになって、いわばフランスの80年代リヴァイヴァルを代表するような存在になっています。いや、エミールとイマージュのことはどうでもいいのだが、この歌の題名が気になります。&lt;br /&gt;　この歌のコーラス部分ではこう歌っています。"Ils m'entraînent au bout de la nuit! Les démons de minuit!" 意味は「俺を夜の果てまで連れてゆく。真夜中の悪魔が」というような感じです。まあ、どうでもいい感じがしますね。どうでもいい感じがするけど、この「真夜中の悪魔」って何なの?と考えてみましょう。&lt;br /&gt;　この「真夜中の悪魔」(les démons de minuit)という題名を聞いてフランス人が思い出すのは、「真昼の悪魔」(démon de midi)という言い回しです。意味は「人生の半ばを越えた人間を襲う肉の誘惑」ということです。人生の半ばはこの場合だいたい40歳くらいのことです。この表現はウルガタ版聖書の詩篇91章5－6節のなかに出てくる &lt;i&gt;daemonius meridianus&lt;/i&gt; という表現から来ています。日本語の新共同訳を見てみましょう。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;夜、脅かすものをも&lt;br /&gt;昼、飛んでくる矢をも、恐れることはない。&lt;br /&gt;暗黒の中を行く疫病も&lt;br /&gt;真昼に襲う病魔も&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　よくわかりませんね。「真昼に襲う病魔」がこの「真昼の悪魔」なのでしょう。ルメートル・ド・サシー（17世紀）の訳を見てみましょうか。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;Vous ne craindrez rien de tout ce qui effraie durant la nuit; Ni la flèche qui vole durant le jour, ni les maux que l'on prépare dans les ténèbres, ni les attaques du démon du midi.&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　「闇のなかで準備される悪も、真昼の悪魔の襲撃も恐れることはない」 やはりよくわかりません。&lt;br /&gt;　現代のフランス口語訳聖書（&lt;i&gt;La Bible en français courant&lt;/i&gt; おすすめ）ではどうでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;Tu n'auras rien à redouter:&lt;br /&gt;ni les dangers terrifiants de la nuit,&lt;br /&gt;ni la flèche qui vole pendant le jour,&lt;br /&gt;ni la peste qui rôde dans l'obscurité&lt;br /&gt;ni l'insolation qui frappe en plein midi.&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　「お前は何も恐れることはない。夜の恐ろしい危険も、昼に飛ぶ矢も、闇をさまよう疫病も、真昼に襲う日射病も」 日射病とはこれいかに? 訳註では「針」を意味する語の定かならぬ訳であると断られています。ウルガタ版の訳者の聖ヒエロニムスは「真昼（太陽）の危険な咬み傷」と解釈したそうで、これは日射病を考えさせると云えるかもしれません。他の現代訳を見ると、「真昼に猛威をふるう災厄」という感じです。やはりよくわかりません。&lt;br /&gt;　このように、聖書の翻訳を見ても、あまり現在「真昼の悪魔」(démon de midi)という言い回しが感じさせるエロチックなニュアンスは感じられません。聖アナタシウスは &lt;i&gt;meridianus&lt;/i&gt; を「真昼」ではなく「南」の意味で考え、「南の国のひとの怠惰」のことだと思ったそうです。これは何となく近いでしょうか。&lt;br /&gt;　現代語の解釈では、一日の真ん中の「真昼」が人生の半ばの意味に解釈され、この「真ん中」は同時に人体のなかの性器のありかも暗示していると考えられます。「お坊さんがお昼に教会でお祈りしているときに不意に欲望に襲われる」ということを意味しているという解釈も読んだことがあります。民間解釈では、40歳を過ぎたときに、20歳ころの精力が戻ってくることを意味するようです。&lt;br /&gt;　ポール・クローデルに &lt;i&gt;Partage de midi&lt;/i&gt; という戯曲があり、この題名は『真昼に分かつ』と訳されていますが、この作品は姦通を扱ったものですから、当然この中年男と女を襲う「真昼の悪魔」という言い回しを連想しないわけにはいかないでしょう。この題名はたぶん、真昼ではなくて、この作品のなかでは、南で何かを分け合うことだと思うのですけど。クローデルは『東方を知ること』(&lt;i&gt;Connaissance de l'Est&lt;/i&gt;)という詩集も出版していますが、「南方を分け合うこと」はそれと対応するものであるのかもしれません。「真昼の悪魔」という言い回しの方から考えてみると、人生の半ばを過ぎた人間を襲う道ならぬ愛の情熱は、「悪魔」ではなくて、「分かち合う」ことなのだ、と、そういうことなのでしょう。だったらこの題名をどういう日本語にすればいいのか、と私に聞かれても答えはありませんが。&lt;br /&gt;　現代のフランス人が聖書の訳し方についていまだに戸惑っているくらいなのだから、今の日本人が百年前のフランス文学について「これはどういう意味なのだろう」と疑問をもちつづけるのはまったく当たり前のことなのです。もう答えは出ていると信じることの方がよっぽどとんでもないことなのですよ。&lt;br /&gt;　80年代の懐メロヒット曲の話が、聖書を経由して、ポール・クローデルにまで広がりました。「真夜中の悪魔が俺を夜の果てまで連れてゆく」という歌詞がエロチックなものを思わせるということは調べるまでもなく云えることだろうが、実際に調べてみると、フランス語でエロチックな価値を背負っているのはむしろ「真昼の悪魔」という表現の方だった、というお話です。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7977067712315526011?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7977067712315526011/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7977067712315526011' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7977067712315526011'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7977067712315526011'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html' title='真昼の悪魔'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-6296594116030248682</id><published>2008-07-14T23:49:00.001-07:00</published><updated>2008-07-14T23:49:38.638-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>ヴォヴェールの悪魔</title><content type='html'>&lt;div xmlns='http://www.w3.org/1999/xhtml'&gt;&lt;div align='justify'&gt;　ヴォヴェールの悪魔と云えば、ジェヴォダンの野獣とともにむかしのフランス人を震えあがらせたものです（うそ）。&lt;br/&gt;　あまり品のいい表現ではないけれど、au diable という表現があります。Va au diable あるいは Que tu ailles au diable と云えば、文字どおりには「悪魔のところへ行け」、すなわち「俺の目に入らないところに行ってしまえ」ということになります。「遠く」という意味で特に悪い意味を込めずにも使われますが、それでもやはりあまり上品な表現とは云えません。この diable という単語そのものが品がよくありませんからね。&lt;br/&gt;　私の守備範囲では、サド侯爵の『ジュリエットの話』の第二部の冒頭でこの表現が用いられています。ジュリエットの殺人の最初の犠牲者、ノワルスイユ夫人がことはてるところです。ノワルスイユ夫人はジュリエットに毒を盛られながらも、さらにからだを火を焼かれたり、酸鼻をきわめた凄惨な乱交を強いられて、瀕死のありさまで苦しんでいます。（第一部ではまだジュリエットはだれもひとを殺していません。）&lt;br/&gt;&lt;blockquote&gt;"Eh! messieurs, m'écriai-je, ce n'est pas tout cela qu'il faut à madame, elle n'a dans ce moment-ci besoin que d'un confesseur. - Qu'elle aille au diable, la putain", dit Noirceuil que Lolotte suçait en ce moment; "oui, oui, qu'elle aille à tous les diables; si j'ai jamais désiré un enfer, c'est dans l'espérance d'y savoir son âme, et de porter jusqu'à mon dernier soupir l'idée délicieuse que les plus vives douleurs ne sauraient avoir de fin pour elle"; cette imprécation parut décider la dernière crise; Mme de Noirceuil rendit l'âme, et nos trois coquins déchargèrent en blasphémant comme des scélérats.&lt;br/&gt;&lt;/blockquote&gt;　下品で申しわけないが訳してみましょう。&lt;br/&gt;&lt;blockquote&gt;「ねえ、みなさん!」私は叫びました「奥様に必要なのはまったくこんなことではなくて、今は告解師のことしか必要としていないのですよ」「このあばずれには消えうせてほしいね」このときロロットにしゃぶられていたノワルスイユが云いました「ああ、そうだ、こいつには地の底に落ちてほしいよ。もし私が地獄なんてものがあってほしいと思うとしたら、それはこの女の魂が地獄にあることを知り、この女にとっては何よりも激しい苦痛に終わりがないということを知るという楽しい考えを死ぬまでもちつづけることができるという希望のためだよ」 この呪いのことばが最終的な絶頂を決したようでした。ノワルスイユ夫人は息を引き取り、三人のならずものは悪党のように罵りながら射精しました。&lt;br/&gt;&lt;/blockquote&gt;　この箇所は『ジュリエットの話』のなかでも、さまざまな価値の対比が生む悲愴によって、もっとも「シェイクスピア的」な一節のひとつですが、ここでは特にコメントしません。長くなるから。一言だけ云うと、告解師の必要を叫ぶジュリエットの存在に注目が必要でしょうね。（&lt;i&gt;Dictionnaire du français non conventionnel&lt;/i&gt; の décharger 「荷を下ろす」の項目には、フランス語の辞書はこの単語に対して戸惑いを感じているということが書かれています。好色文学のなかでは「射精する」の意味で用いられます。）&lt;br/&gt;　さてこの au diable という言い回しのヴァリエイションに au diable vauvert というものがあります。「遠くの方へ」をさらに強めたものですが、この「ヴォヴェール」というのは何ものでしょう。この表現は初出が1821年と比較的に新しいので、サドのなかには出てきません。&lt;br/&gt;　15世紀には faire le diable de Vauvert という言い回しがあり、これは「暴れまわる」ことを意味していたそうです。（エロチックな意味もあったようです。） ヴォヴェールの修道院は、パリの南部、現在のダンフェール・ロシュロー大通り（および広場）の近くにあったそうです。この通りが現在の名前になったのは19世紀末のことで、この名前は普仏戦争で仏東部の国境の町ベルフォールの町を果敢に死守した将校の名前からとられました。しかし名前が変えられる前は「地獄通り」(rue d'Enfer)という名前でした。「ラ・リュー・ダンフェール（地獄通り）」という縁起の悪い名前だった通りが、たまたま普仏戦争で活躍したフランス人将校の名前が同じ発音だったために、それにちなんで名前を変えられたのです。名前を変える前は、「地獄通り」の近くにある修道院が冗談のねたになっていたのは理解できることです。しかしそれがパリを起点にして考えたときに「ずっと遠く」の意味になるとは思えません。&lt;br/&gt;　あるひとはジャンティイの近くにあるヴォヴェール城のことを考えました。それでここに現れる悪魔の話などが引き合いに出されたのです。しかしジャンティイもパリに隣接したところで、それほどパリから遠くありません。現代のフランスを代表する辞書編纂者のアラン・レーは南仏ニームの近くの聖処女にささげられた聖所が新教徒によって破壊されたところもヴォヴェールという名前だということを云っていますが、これはもし具体的な地名のことを考えなければならないというのなら、どうせならニームの方の地名のことを考えてみたらどうかと云っているだけで、本当のヴォヴェールはこっちだろう、と主張しているわけではありません。&lt;br/&gt;　ヴォヴェール城に現れる悪魔の伝説はまったく無縁だと云うことはできないとしても、ヴォヴェール(Vauvert)という語のなかに vert （緑）があるということがこの地名が選ばれた理由ではないかとアラン・レーは考えます。たとえば se mettre au vert といえば、「緑のなかに行く」すなわち「田舎に休養に行く」ことになります。事実、au diable vauvert の云いまちがいではないかと考えられる au diable au vert （《古》）あるいは au diable vert （《話》）も用いられます。別の言い回しで、disparaître dans la nature という表現は、逐語訳すれば「自然のなかに消える」ですが、「どこかに姿を消す」という意味になります。パリに対する「田舎」「自然」が「緑」であるという発想は古くからあるのでしょう。&lt;br/&gt;　Va au diable は「遠くへ行ってしまえ、消えうせろ」という意味で、「悪魔のところへ行け」と訳すのはおかしいのですが、だからといってひとが「悪魔」の意味を考えないわけではなくて、地獄にまで連想がふくらむのは、上のサドの引用からもわかります。決まった言い回しはその意味を訳すべきですが、その言い回しのなかにある発想が訳に生かせたらいいと思わないでもありません。Au diable vauvert 「ヴォヴェールの悪魔の方へ」という不可解なことばそのものは、文字どおりにはほぼ何も意味しないと思われるのですが、その発音から緑の方へと連想が広がるのが面白いところです。&lt;br/&gt;　「緑の悪魔」なんていうと、何となく超人ハルクを連想しますが、こういう連想は必ずしも無意味なものではないのかもしれないということを夢想します。フランス語では怒りで緑色になることはないわけではないけれども、この場合は激昂しているわけで、「激昂した」は emporté です。『風と共に去りぬ』はフランス語 &lt;i&gt;Autant en emporte le vent&lt;/i&gt; ですが、風に運ばれて遠くに行くのかもしれない、とここまで連想を働かせることはまったくもって自由ですね。ことばの連想の話をしているのですから。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-6296594116030248682?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/6296594116030248682/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=6296594116030248682' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6296594116030248682'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/6296594116030248682'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_4263.html' title='ヴォヴェールの悪魔'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' 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は両方可能であり、ことばの使用法に厳しいリトレさんのようなひとでもなければ、特にこの場合はこちらを使うべきだということは云わないでしょう。それでももっぱらこのふたつの単語の片方だけが使われる口語表現があります。&lt;br/&gt;　フランス人がかなり頻繁に口にする表現に、"Tu m'étonnes" とか "Ça m'étonne" という表現があります。"Ça m'étonne pas" "Ça m'étonnerait" といったヴァリエイションもあります。まず文字どおりに訳してみれば、"Tu m'étonnes" は「きみは私を驚かす」、"Ça m'étonne"は「それは私を驚かす」となります。しかし実際にはそれほどびっくりしているというニュアンスはありません。フランス人がこういうことを云うときの口ぶりや表情を見ればわかりますが、それほど驚いてはいないのです。むしろこれは一種の軽い挑戦、あるいはときによっては軽い軽蔑のニュアンスを含んだ「本当かよ」ということを意味しています。それでもこれは強い疑いを含んだ「本当かよ」ではありません。日本語ではこれだ!というようなものがないのですが、わりに近いと思われるのは「やだ、ほんと?」というような感じでしょうか。&lt;br/&gt;　否定である "Ça m'étonne pas" は「それには驚かない」というよりも「そりゃそうだろうね」あるいは「それはありうるね」、条件法の "Ça m'étonnerait" は「そんなことがあったら驚くかもしれない」というよりも「それはないだろう」という感じです。&lt;br/&gt;　一方で "Tu me surprends" と云うと、これも文字どおりには「きみは私を驚かす」なのだが、相手が思ってもみなかった才能を見せたときなどに用いられるでしょう。"Tu m'étonnes" の場合には、どことなく「お前、変なことを云っている」と云うニュアンスがあるけれども、"Tu me surprends" は相手の意外な言動を肯定的にとらえています。&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-7315334112499822902?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/7315334112499822902/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=7315334112499822902' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7315334112499822902'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/7315334112499822902'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_14.html' title='びっくりしているのか'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-4661569518622783508</id><published>2008-07-12T22:05:00.001-07:00</published><updated>2008-07-12T22:45:23.646-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='言い回し'/><title type='text'>スペインに城を建てよう</title><content type='html'>&lt;div xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"&gt;&lt;div align="justify"&gt;　ロック的価値観というのは、商業音楽が商業音楽であることを自己否定することのうえに成り立っているようなところがあって、どうにも座りがよくありません。そこを割り切って虚構を楽しむのがおとなの立場かもしれませんが、だったらロック的な価値観をもっているひとは普通に売れ線の商業音楽の方を否定しないでほしいな、と思うわけです。だいたいどの辺で区別しているのかしら。&lt;br /&gt;　と云いつつ、古い人間の私自身もロック的な価値観にどっぷりつかっているようなところもあるのですが、ロックなひとからみると売れ線の商業音楽にみえるものを全否定するような愚は犯しません。なぜこれが愚かといえば、ロックな音楽も商業の上に成り立っているということを知らないふりをすることになるからですね。フランスでは、ずいぶん若いひとであってもこういうひとがいまだに多いのです。&lt;br /&gt;　フランスの売れ線ポップスでありながら、ある程度の水準以上のものをつくっているひとのなかにザジがいます。このレベルの売れ線ポップスであればうんざりせずに聞けます、というだけで積極的に評価しているわけではありませんが。このひとの歌詞は、面白いのだけれども、ときにことば遊びがすぎます。2001年の大ヒット曲「平和通り」(Rue de la Paix)もそうでした。歌詞は&lt;a href="http://www.paroles.net/chanson/21417.1"&gt;こちらのペイジ&lt;/a&gt;に載っています。あまりに最初から最後までことば遊びばっかりで、フランス語ができてもほぼ何もわからないという可能性もあります。大ヒットした理由のひとつは、いろんな言い回しをもじっているから口にはよくなじむが、何を云っているのかと考えるとよくわからないこの歌詞のせいでしょう。&lt;br /&gt;　コーラス部分では「平和通りにホテルを建てるには」と歌っているのだが、これもフランス語版のモノポリーのいちばん高いコマが「平和通り」であることを知らないと意味がわかりませんね。そのすぐ後で「スペインで城を買おう」(J'achète un château en Espagne)と歌っているんだけれども、これは何でしょうか。&lt;br /&gt;　日本の大学などのフランス語教育では口語表現や常套句を勉強することはあまりないと思うのだけれども、そこには手が回らないということもあるが、いい作家は常套句を用いないという理由も大きなものとしてあると思います。しかし当然フランスでの日常生活のなかでは、いい作家のフランス語よりも普通のひとのフランス語の方に多く出会うことになります。印刷されたフランス語でも、ジャーナリストの文章や歌の歌詞のなかには、教室では勉強しないような表現がたくさん出てくることになります。&lt;br /&gt;　フランス語には「スペインの城」(châteaux en Espagne)という言い回しがあり、これは「空想的で実現不可能な計画」を意味します。普通は「建てる」(bâtir)か「つくる」(faire)かで、「買う」はザジさんの発明（大げさ）でしょう。決まった言い回しとしては、「城」は複数形のようです。これは非常に古い言い回しで、すでに中世の「薔薇物語」のなかに例がみられるそうです。この表現についてはさまざまな説明が試みられてきました。&lt;br /&gt;　まず16世紀の人文学者エチエンヌ・パーキエ(Etienne Pasquier)は、「ムーア人が怖くてスペインには城が建てられないから、スペインには城が見られないのである。それゆえ『スペインの城』は実現できないことを頭のなかで面白がって考えるときに使うのだ」と云っています。&lt;br /&gt;　同じく16世紀のジャン・ニコ(Jean Nicot)は歴史的な説明を試みています。古代ローマの武将ケキリウス・メテッルス(Cecilius Metellus)はスペインのアラゴン地方で奇妙な戦術を用いました。いったん攻囲を解いて、あちこち飛びまわり、いろいろなところに城を建てて、決して一箇所にとどまらなかったのです。こうすることで住民を油断させ、彼は一気にこの国を攻め落としました。しかしこれと「空想的な計画」には関係がないような気がしますね。17世紀のフルリー・ド・ベランジェン(Fleury de Bellingen)はこの説を踏襲しつつ、「秘密の目的を隠したまま、見たところではおかしな行動をする」ことだと云っています。これもまた普通使われる「スペインの城」の意味とはちがうようです。ちなみにジャン・ニコさんはカトリーヌ・ド・メディシスさんの偏頭痛を直すためにフランスの宮廷にたばこを献上しました。後にリンネさんは彼の名前にちなんで、たばこに含まれる成分に「ニコチン」と名前をつけました。たばこのせいで有名なひとですが、フランス語の辞書も編纂しています。&lt;br /&gt;　しかしこれらの仮説は、「ブリーに城を建てる」、「アジアに城を建てる」、「スペインとカイロに城を建てる」、「アルバニアに城を建てる」などの、同じ意味で17，8世紀頃までは使われていた他の表現を前にするとまったく成り立たなくなります。&lt;br /&gt;　結局のところ、これらの表現は、他国にある城は、むりやりにでもなければ「近づくことのできない地所」であるということを意味しているようです。だから実現不可能な計画なのです。それではなぜ「スペイン」だけが表現として生き残ったのでしょうか。それはこの国名「スペイン」(Espagne)が「スペイス」(espace)と似ているからではないでしょうか。Mettre en espace という表現は、古くは「しりぞける、追い払う」、後に「放っておく、後回しにする」などの意味をもちます。この表現の生む意識下の連想から、この国名が生き残ったのではないかと考えられます。&lt;br /&gt;　じゃあ「スペインで城を買おう」(J'achète un château en Espagne)というのを、「空想的な計画」という意味を踏まえてどう日本語に訳せばいいか、と聞かれても、それはちょっとわかりませんなあ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.amazon.fr/Dictionnaire-expressions-locutions-Alain-Rey/dp/2850364606"&gt;&lt;i&gt;Dictionnaire des expressions et locutions&lt;/i&gt;&lt;/a&gt; (Robert)&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-4661569518622783508?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/4661569518622783508/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=4661569518622783508' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4661569518622783508'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/4661569518622783508'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post_12.html' title='スペインに城を建てよう'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1008648557660215163.post-3552959258146092348</id><published>2008-07-12T01:48:00.000-07:00</published><updated>2008-07-12T20:40:00.874-07:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='類義語'/><title type='text'>びっくりした</title><content type='html'>&lt;div style="text-align: justify;"&gt;　フランス語で文章を書くときに気をつけなければならないのは、同じ単語を繰り返さないということです。ひとつの単語を繰り返して用いる場合には、文体的な効果を狙うとき以外には、ふたつの同じ単語の間にある程度の距離を置かなければなりません。これは代名詞や冠詞にはかかわりませんが、名詞や動詞の場合は、できるだけ類義語などで置き換えた方がいいということが一般論として云えます。換喩(métonimie)は日本語ではどことなく気どったレトリックと感じられることがありますが、フランス語ではただ同語反復を避けるためだけに用いられることがかなり頻繁にあります。&lt;br /&gt;　それでも類義語で置き換える場合でも注意が必要です。なぜなら類義語はあくまで類義語であって、まったく同じ意味をもっているわけではないからです。それでも私はここでフランス語の作文法について書くつもりはありません。類義語の意味のちがいについての軽い話題についてお話ししてみたいと思います。&lt;br /&gt;　ここでは「驚いた」を意味する étonné と surpris についての面白いエピソードを紹介しましょう。&lt;br /&gt;　第三帝政下で発行されたものの今でも愛用者が多いフランス語の大辞典を編集したエミール・リトレ(1801-1881)さんは、女中に手を出す悪い癖があったそうです。あるとき女中といちゃいちゃしているときに奥さんが扉を開けて大声で叫びました。「おやまあ、不意をつかれたわ(je suis surprise)！」 リトレさんは服を直しながら答えました。「いいえ、奥さんは動転したのです(vous êtes étonnée)。不意をつかれたのは私たちの方です(c'est nous qui sommes surpris)。」&lt;br /&gt;　むりやり意味のちがいがわかるようにして日本語にしても話のニュアンスがよくわかりませんが、「わあ、驚いた、びっくりした」という意味のことを奥さんが云ったときに、リトレさんは「ちょっとそれは使い方がちがいますよ」ということを云っているというところです。やっぱり日本語ではまったく面白さがわからないので、フランス語の原文を引用します。&lt;br /&gt;&lt;blockquote&gt;　Chacun a ses faiblesses. Littré en avait pour sa bonne. Un jour qu'il la lutinait, Mme Littré poussa la porte et s'écria: "Ah, monsieur, je suis surprise!" Et le regretté Littré, se rajustant, lui répondit: "Non, madame, vous êtes étonnée. C'est nous qui sommes surpris."&lt;br /&gt;&lt;/blockquote&gt;　リトレさんの編集した辞書には、かなり主観的な記述が多く、それが魅力の一部をなすと云われています。リトレさんはこのふたつの動詞と同系列のふたつの名詞を比較しています。Surprise は不意をついて起こることだが、étonnement は深い精神的な動揺を惹き起こすものであるとリトレさんは云います。つまり surprise は étonnement よりも弱いものなのです。「不意をつかれる(être surpris)」というのは「期待していなかったものに出くわす」ことであり、「動転する(être étonné)」は「思考を停止させ動揺を与えるような衝撃を受ける」ことだとリトレさんは説明しています。「不意をつかれる」「動転する」は両方とも「驚く」「びっくりする」と訳される単語ですが、あえてちがいを強調して訳しています。&lt;br /&gt;　Etonner という単語は「雷(tonnerre)に打たれる」というところから語源がきています。しかし現在では必ずしも深い精神的な動揺を伴うものとは理解されていません。それでも「思考停止」「疑い」「理解不能」を伴うものだと考えられます。&lt;br /&gt;　他方で surprise はよいものでも悪いものでもありえます。特にプレゼントと結びついたものとしてこの単語は理解されます。&lt;br /&gt;　最終的には、現在においては、もしこのふたつの単語を区別して用いなければならないということならば、étonnement は不快感を惹き起こす予期せぬもの、surprise はその反対に快適なものである期待していなかったものであるという風に考えることができるでしょう。&lt;br /&gt;　この記事はリトレの類義語に関する面白い記述をまとめてそれにコメントした &lt;a style="font-style: italic;" href="http://www.amazon.fr/Surpris-%C3%A9tonn%C3%A9-Nuances-subtilit%C3%A9s-fran%C3%A7aise/dp/2035322731"&gt;Surpris ou étonné?&lt;/a&gt; という本を参考にして書いたものです。これからもこの本から面白そうな話題を見つけて書いてみたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1008648557660215163-3552959258146092348?l=fukuihisashi2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/feeds/3552959258146092348/comments/default' title='Publier les commentaires'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1008648557660215163&amp;postID=3552959258146092348' title='0 commentaires'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/3552959258146092348'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1008648557660215163/posts/default/3552959258146092348'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://fukuihisashi2.blogspot.com/2008/07/blog-post.html' title='びっくりした'/><author><name>NeiMuroya</name><uri>http://www.blogger.com/profile/04892180866938253024</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='24' height='32' src='http://bp2.blogger.com/_KQXq42obkcE/R2fCWp2z3aI/AAAAAAAAAAU/ZbqMOp-R1To/S220/cranach_judith_holofernes.jpe'/></author><thr:total>0</thr:total></entry></feed>
