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lundi 29 septembre 2008

あなたぎりぎり

 フランスのR&B(カタカナでは「アーレンビー」というような発音)といえば、一枚シングルがヒットしてもその後はそのまま忘れ去られてゆくようなせちがらい世界であります。アルバムが出せたら万々歳、アーティストとして生き残れることなどまずないような、そんな感じですね。フランスでR&Bはまるでラップの下位ジャンルのような感じで、国産の音楽としては、まだまだ認知のされていない音楽だと云えるでしょう。きわめて新しいジャンルだということもありますが、若者の間ですら、フランスのR&Bほどどうしようもない音楽もないと考えるひとが多いようです。おそらく今フランスでもっとも軽蔑されている商業音楽のジャンルではないでしょうか。私も正直なところフランスのR&Bのひとで本当におもしろいと思うひとはいません。そんな云うほどひどいもんか、とも思うが、フランス人は歌詞を重視することを考えると、英語とフランス語をちゃんぽんにした変な歌詞は確かに滑稽ではあります。でもみんながみんな変な歌詞を歌っているわけでもありません。ヒット曲としてそんなにひどくはないとは思っても、R&Bというにはヴォーカルの弱さが気になるものが多いことは確かです。(ところでM・ポコラというのが日本でも発売されて「ティンバランドに見出された」なんて云ってますが、これはうそですね。テレビのオーディション番組出身の男の子が「俺は本格はR&Bアーティストだ」と云いだしたのだが、ティンバランドがプロデュースしたのはそのプロモウションの一環です。あまり本気にはされていません。)
 そんななかでヴィタアという歌手がおりまして、デビューしたのは去年で、新作を出していないからもう消えたかなと思ったのだが、結構 YouTube では新しいファンの熱いコメントがついています。新進R&B歌手のなかでは珍しく熱心なファンを獲得しているようです。フランスR&Bのなかで唯一の才能と云うひともいるらしいですけど、そういう気持ちもわかんないでもないかな(恥)。ソロデビューヒットはこれです。



Vitaa - A Fleur De Toi (video) **Exclu**

 このひとはソロデビュー前の一昨年に女ラッパーのディアムスとのデュオの「真夜中の告白」(Confessions nocturnes)という「あまりに嫉妬深い上に、自分の女友だちのしあわせすら許せないうそつき女」の歌がヒットして、これがもうメロディもアレンジもともかく全部気持ち悪かったのね。でも考えてみると、性格悪過ぎの自己中心的な女を演じる歌というのはなかなかないかも。ミカエル・ユーンのファタル・バズーカがパスカル・オビスポ(ヴィトオの名で出ている)とやったパロディもあります。あまりに気持ち悪いのでパロディをつくらずにはいられなかったのでしょう。YouTube を探すと両方とも出てきます。
 どこかベートーヴェンのこの A fleur de toi は、「あなた以外のひととやり直そうとしているけど、あなたのことが忘れられないのよ」という、まるで「あずさ2号」のような世界観だが、この歌の後は、「妹よ」(Ma soeur)という「妹に彼氏とられちゃった、トホホ」な歌、というか「どうしてそんなことをしたの」と妹をなじる歌なのだが、それがヒットして、私のような意地悪なおじさんは「お前みたいなヒステリー女なら妹に男をとられてもしょうがねえよな」と思っちゃったよ。ヒット曲はどれも曲調やアレンジが妙に大げさで、しかもメロディの符割りとか変。A fleur de toi はまだ聴きやすいが、これもまた悲壮感盛り上げまくりなのはなぜ? 私も最初は許せなかったが、いやだなあ、と思っていた A fleur de toi を彼女がテレビで歌ったときに、「案外いい歌じゃない」と思っちゃった(恥)。テレビではさびをちゃんとひとりで歌ったからね。スタジオ録音はこれ、アレンジのまちがいでしょう。日本の歌謡曲のような雰囲気はあるが、日本の歌謡曲ではありえないかな、やっぱり。
 さてアルバムタイトルにもなったこの題名はどういう意味なのか。まあ、初心者でもなければだれも「あなたの花」だとは思わないでしょうね。辞書を引くと à fleur de という表現は「~と同じレベル」と出てきます。「どうしても彼のことをあなたと同じくらい愛せない」と歌っているのだから、そういう意味だと考えていいでしょうね。ちょっと検索したところで出てきた記事の題名でおもしろかったのが、Sexisme à fleur de mots というもの。「語のレベルでの性差別」ということでしょうね。しかし、じゃあ「あなたと同じくらい」でいいんだと云ってそれですませたら、「でもどうしてこんな奇妙な表現なのか」ということがわかりません。
 フランス人の前で à fleur de? と云って何か単語をつづけさせようとしたら、まちがいなく peau とつづけるでしょう。この à fleur de peau という表現も一筋縄ではいきません。私は知らなかったが「表面的」という意味があるんですね。アラン・レーの言い回し辞典にはこの「表面的」という意味だけが載っています。しかしこの表現は日常的には「神経質」の意味で使われることの方がずっと多いと思います。A fleur de peau という表現を見て「皮の花」と訳してもしょうがないですが、「皮の花」という字面とにらめっこしていると、がらがらにやせているひとは、肌に浮き出た自分の血管を見て「ひょっとしてこれのこと?」と思うかもしれません。発想としてはそういう感じですね。神経が皮一枚のところにあるような非常に神経過敏な状態を云います。
 似て非なる表現ながら、この際言及しておきたいのが、fleur bleue というもの。「青い花」ですが、ノヴァーリスではなくて「ロマンチック」なことです。ノヴァーリスはロマン主義だが必ずしも日本語のカタカナことばの「ロマンチック」が意味するものではありません。このフランス語の「青い花」は白馬の王子さまの登場を待つ夢見がちな女の子の感性です。一方で à fleur de peau はどちらかといえばパンク少女の方かな。
 ということでヴィタアの à fleur de toi は「あなたと同じくらい」の意味だが、表現としては à fleur de peau のもじりとして感じられます。だってこの悲しい曲が à fleur de peau そのまんまなんですから。案外今どきの米国青春ドラマの感覚があります。ということで、神経衰弱ぎりぎりな女の感じを出して、「あなたぎりぎり」という雰囲気訳を提案。意味は合っているがこの表現の味を無視している「あなたほどには」よりはいいでしょう。雰囲気訳は十個あったら十個捨てろ、という意見のひともいるでしょうが、私はそこまで過激ではありません。(フランス語で同じ意味の表現で置き換えろ、と云う場合には、Au même niveau que toi ということになるでしょう。こちらは当然どんなことをしても「あなたぎりぎり」にはなりませんよ。「あなたと同じくらい」と「あなたぎりぎり」は同じ意味なのか?といぶかしく思っているひとがいるかもしれませんが、意味はちがいます。私は「あなたぎりぎり」がこのフランス語の題名の感じをよく出しているだろうと云っているだけです。)
 実は今ヴィタアのアルバムを聴いているのだが(恥)、みんなヒット曲と同じように聞きづらいものなのかと思ったら、アルバムはそんなに悪くないよ(恥)。名前はAがふたつ並んでるから Aaliyah を意識しているのかと思ったら、実際はアリシア・キーズ意識しまくりでした。もっとシングル曲のような恨み節があってもいい気がするが、とかえって物足りなかったりして。最初に「プレリュード」があって、そこでは A fleur de toi, je te respire. と云っているのだが、これもまたわかりにくいですなあ。こっちは「あなたと同じレベル」であるよりはずっと「あなたぎりぎり」なんでしょう。
 (フランス人はヴィタアとアを二回発音しませんが、Vitaa と書いているのだから、みえるようにカタカナに転写します。私は「聞こえる派」じゃないんで。)

lundi 8 septembre 2008

スパニッシュ・アパートメント

 この前BSをぼんやりながめていたら、『ロシアン・ドールズ』という映画の番組予告をしていたので、L'Auberge espagnole の方はどういう邦題なのかと思ったら『スパニッシュ・アパートメント』でした。投げやりですねえ。いったいどういう義理があってフランス映画の投げやりな英題を投げやりな日本の配給者は用いるのでしょうか。投げやりに投げやりをかけても前向きにはならないと思いますけど。
 Auberge espagnole は「スペインの宿」でいいんじゃないの?と思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこれも決まった言い回しなのです。映画がバルセロナの話だからそう考えていなかったひともいるだろうけれど、バルセロナなら auberge catalan になりそうなものだとは思いませんか。決まった言い回しをことば遊びで映画の題名に使ってみたのですね。
 この言い回しの意味は「自分でもってきたもの以外のものがないような場所、状況」というものです。スペインの宿屋では何にも出してくれないので、自分で飲み食いするものはもっていった方がいいと云われていたことからこの表現が生まれたのだそうです。アラン・レーの言い回し辞典にはモンテルランの次の例が載っています。ベートーヴェンの第九交響曲のコンサートについて書かれたものだそうです。
 On y arrive extasié d'avance, y apportant comme dans les auberges espagnoles, tout ce qu'on souhaite d'y trouver.
 「『スペインの宿』のように、そこにあってほしいと望むものを全部自分でもちこんでいるので、みんな到着するなり最初から昂奮している」
 実際映画やコンサートに行くときに、最初からすばらしいと思い込んでしまって、何も見聞きしていないんじゃないか、という疑いを抱かせるひとは存在します。こういうひとは最初からつまらないと思い込んでいるときも同質の行動をとります。モンテルランの文章は、実際にはこのコンサートの中身は空っぽだったということを云っているのでしょうか。
 アラン・レーには「自分でもっていかなければ何もないところ」の意味しか載っていないけれども、この言い回しは逆にごちゃごちゃものが散らかっている長屋のようなところのことも意味します。私はむしろこちらの意味で理解していたのですけれど、映画でもどちらかと云えばこちらの意味でしょうね。
 『ロシアン・ドールズ』の方は「マトリョーシカ人形」ですね。別に比喩的な意味をここに書く必要もないでしょう。しかし日本の人間の観客は、『ロシアン・ドールズ』と云われて、マトリョーシカ人形のことだとわかるのか。うすうすそうじゃないのかと思っても、『ロシアン・ドールズ』なんて云われたら何だか自信がない、というひとが結構多いんじゃないかという気がするのですけれども。
 セドリック・クラピッシュの映画なら、Un air de famille と云うのがよかった。この題名は「家族のような雰囲気」であると同時に「家族のメロディー」でもあるでしょう。
 どうでもいいけど、セシル・ド・フランスってベルギー人だよ。

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Now playing: Martin Rappeneau - Poupée russe
via FoxyTunes

mercredi 3 septembre 2008

左遷先はリモージュ

 しばらく前にレスボス島の住民が、女性の同性愛者のことをレズビアンと呼ぶのをやめてほしいという訴えを起こして、それが退けられたという話が話題になりました。詳しい経緯はわかりませんが、「レズビアン」という単語がネガティヴなイメージであるという前提が認められないということがあったのではないかと思います。それでもときに固有名詞から派生した単語がネガティヴなイメージをもっていることがあります。ひとつの町の名前から派生した単語がネガティヴな意味をもっている場合、住民はどんな気持ちがするものでしょうか。
 現代フランス語では「左遷する」のことを limoger と云います。この動詞がフランス中部のリモージュ(Limoges)の町から来ているのは知っていましたが、あらためて語源を確認してびっくりしました。何とこれは1914年の第一次大戦の初期の戦闘の後に、総司令官ジョゼフ・ジョフルによって無能な将軍が送られたのがリモージュの町だったという史実から来ていたのです。そんなに最近のこととはつゆぞ知りませんでした。1922年にプルーストが『再発見された時間』のなかでいち早くこの新語を使っています。この単語はニュースなどでも普通に「左遷する」の意味で使われていますが、リモージュの住民はどう考えているのでしょうか。
 陶器で有名なリモージュは、リムザン(Limousin)地方の中心地です。この地名を見ると、「ではリムジンという車はここから来ているのかな」という疑問を感じませんか。事実リムジン(limousine)という単語の語源はこの地方なのですが、それでも理由はあまりはっきりしません。この単語は19世紀の半ばには羊飼いの着る羊毛のマントを意味していました。20世紀の冒頭に車を意味する用例が見られます。このふたつの語義の関係は、「全身をすっぽり包むマント」と、自動車創世期には珍しかった「しっかり全体を閉鎖された車」の比較によって説明されることがあります。しかしこういったタイプの車を発明したリモージュ生まれのシャルル・ジャントー(1843-1906)が、自分の出身地にちなんで名づけたという説もあります。