フランスのR&B(カタカナでは「アーレンビー」というような発音)といえば、一枚シングルがヒットしてもその後はそのまま忘れ去られてゆくようなせちがらい世界であります。アルバムが出せたら万々歳、アーティストとして生き残れることなどまずないような、そんな感じですね。フランスでR&Bはまるでラップの下位ジャンルのような感じで、国産の音楽としては、まだまだ認知のされていない音楽だと云えるでしょう。きわめて新しいジャンルだということもありますが、若者の間ですら、フランスのR&Bほどどうしようもない音楽もないと考えるひとが多いようです。おそらく今フランスでもっとも軽蔑されている商業音楽のジャンルではないでしょうか。私も正直なところフランスのR&Bのひとで本当におもしろいと思うひとはいません。そんな云うほどひどいもんか、とも思うが、フランス人は歌詞を重視することを考えると、英語とフランス語をちゃんぽんにした変な歌詞は確かに滑稽ではあります。でもみんながみんな変な歌詞を歌っているわけでもありません。ヒット曲としてそんなにひどくはないとは思っても、R&Bというにはヴォーカルの弱さが気になるものが多いことは確かです。(ところでM・ポコラというのが日本でも発売されて「ティンバランドに見出された」なんて云ってますが、これはうそですね。テレビのオーディション番組出身の男の子が「俺は本格はR&Bアーティストだ」と云いだしたのだが、ティンバランドがプロデュースしたのはそのプロモウションの一環です。あまり本気にはされていません。)
そんななかでヴィタアという歌手がおりまして、デビューしたのは去年で、新作を出していないからもう消えたかなと思ったのだが、結構 YouTube では新しいファンの熱いコメントがついています。新進R&B歌手のなかでは珍しく熱心なファンを獲得しているようです。フランスR&Bのなかで唯一の才能と云うひともいるらしいですけど、そういう気持ちもわかんないでもないかな(恥)。ソロデビューヒットはこれです。
そんななかでヴィタアという歌手がおりまして、デビューしたのは去年で、新作を出していないからもう消えたかなと思ったのだが、結構 YouTube では新しいファンの熱いコメントがついています。新進R&B歌手のなかでは珍しく熱心なファンを獲得しているようです。フランスR&Bのなかで唯一の才能と云うひともいるらしいですけど、そういう気持ちもわかんないでもないかな(恥)。ソロデビューヒットはこれです。
Vitaa - A Fleur De Toi (video) **Exclu**
このひとはソロデビュー前の一昨年に女ラッパーのディアムスとのデュオの「真夜中の告白」(Confessions nocturnes)という「あまりに嫉妬深い上に、自分の女友だちのしあわせすら許せないうそつき女」の歌がヒットして、これがもうメロディもアレンジもともかく全部気持ち悪かったのね。でも考えてみると、性格悪過ぎの自己中心的な女を演じる歌というのはなかなかないかも。ミカエル・ユーンのファタル・バズーカがパスカル・オビスポ(ヴィトオの名で出ている)とやったパロディもあります。あまりに気持ち悪いのでパロディをつくらずにはいられなかったのでしょう。YouTube を探すと両方とも出てきます。
どこかベートーヴェンのこの A fleur de toi は、「あなた以外のひととやり直そうとしているけど、あなたのことが忘れられないのよ」という、まるで「あずさ2号」のような世界観だが、この歌の後は、「妹よ」(Ma soeur)という「妹に彼氏とられちゃった、トホホ」な歌、というか「どうしてそんなことをしたの」と妹をなじる歌なのだが、それがヒットして、私のような意地悪なおじさんは「お前みたいなヒステリー女なら妹に男をとられてもしょうがねえよな」と思っちゃったよ。ヒット曲はどれも曲調やアレンジが妙に大げさで、しかもメロディの符割りとか変。A fleur de toi はまだ聴きやすいが、これもまた悲壮感盛り上げまくりなのはなぜ? 私も最初は許せなかったが、いやだなあ、と思っていた A fleur de toi を彼女がテレビで歌ったときに、「案外いい歌じゃない」と思っちゃった(恥)。テレビではさびをちゃんとひとりで歌ったからね。スタジオ録音はこれ、アレンジのまちがいでしょう。日本の歌謡曲のような雰囲気はあるが、日本の歌謡曲ではありえないかな、やっぱり。
さてアルバムタイトルにもなったこの題名はどういう意味なのか。まあ、初心者でもなければだれも「あなたの花」だとは思わないでしょうね。辞書を引くと à fleur de という表現は「~と同じレベル」と出てきます。「どうしても彼のことをあなたと同じくらい愛せない」と歌っているのだから、そういう意味だと考えていいでしょうね。ちょっと検索したところで出てきた記事の題名でおもしろかったのが、Sexisme à fleur de mots というもの。「語のレベルでの性差別」ということでしょうね。しかし、じゃあ「あなたと同じくらい」でいいんだと云ってそれですませたら、「でもどうしてこんな奇妙な表現なのか」ということがわかりません。
フランス人の前で à fleur de? と云って何か単語をつづけさせようとしたら、まちがいなく peau とつづけるでしょう。この à fleur de peau という表現も一筋縄ではいきません。私は知らなかったが「表面的」という意味があるんですね。アラン・レーの言い回し辞典にはこの「表面的」という意味だけが載っています。しかしこの表現は日常的には「神経質」の意味で使われることの方がずっと多いと思います。A fleur de peau という表現を見て「皮の花」と訳してもしょうがないですが、「皮の花」という字面とにらめっこしていると、がらがらにやせているひとは、肌に浮き出た自分の血管を見て「ひょっとしてこれのこと?」と思うかもしれません。発想としてはそういう感じですね。神経が皮一枚のところにあるような非常に神経過敏な状態を云います。
似て非なる表現ながら、この際言及しておきたいのが、fleur bleue というもの。「青い花」ですが、ノヴァーリスではなくて「ロマンチック」なことです。ノヴァーリスはロマン主義だが必ずしも日本語のカタカナことばの「ロマンチック」が意味するものではありません。このフランス語の「青い花」は白馬の王子さまの登場を待つ夢見がちな女の子の感性です。一方で à fleur de peau はどちらかといえばパンク少女の方かな。
ということでヴィタアの à fleur de toi は「あなたと同じくらい」の意味だが、表現としては à fleur de peau のもじりとして感じられます。だってこの悲しい曲が à fleur de peau そのまんまなんですから。案外今どきの米国青春ドラマの感覚があります。ということで、神経衰弱ぎりぎりな女の感じを出して、「あなたぎりぎり」という雰囲気訳を提案。意味は合っているがこの表現の味を無視している「あなたほどには」よりはいいでしょう。雰囲気訳は十個あったら十個捨てろ、という意見のひともいるでしょうが、私はそこまで過激ではありません。(フランス語で同じ意味の表現で置き換えろ、と云う場合には、Au même niveau que toi ということになるでしょう。こちらは当然どんなことをしても「あなたぎりぎり」にはなりませんよ。「あなたと同じくらい」と「あなたぎりぎり」は同じ意味なのか?といぶかしく思っているひとがいるかもしれませんが、意味はちがいます。私は「あなたぎりぎり」がこのフランス語の題名の感じをよく出しているだろうと云っているだけです。)
実は今ヴィタアのアルバムを聴いているのだが(恥)、みんなヒット曲と同じように聞きづらいものなのかと思ったら、アルバムはそんなに悪くないよ(恥)。名前はAがふたつ並んでるから Aaliyah を意識しているのかと思ったら、実際はアリシア・キーズ意識しまくりでした。もっとシングル曲のような恨み節があってもいい気がするが、とかえって物足りなかったりして。最初に「プレリュード」があって、そこでは A fleur de toi, je te respire. と云っているのだが、これもまたわかりにくいですなあ。こっちは「あなたと同じレベル」であるよりはずっと「あなたぎりぎり」なんでしょう。
(フランス人はヴィタアとアを二回発音しませんが、Vitaa と書いているのだから、みえるようにカタカナに転写します。私は「聞こえる派」じゃないんで。)
どこかベートーヴェンのこの A fleur de toi は、「あなた以外のひととやり直そうとしているけど、あなたのことが忘れられないのよ」という、まるで「あずさ2号」のような世界観だが、この歌の後は、「妹よ」(Ma soeur)という「妹に彼氏とられちゃった、トホホ」な歌、というか「どうしてそんなことをしたの」と妹をなじる歌なのだが、それがヒットして、私のような意地悪なおじさんは「お前みたいなヒステリー女なら妹に男をとられてもしょうがねえよな」と思っちゃったよ。ヒット曲はどれも曲調やアレンジが妙に大げさで、しかもメロディの符割りとか変。A fleur de toi はまだ聴きやすいが、これもまた悲壮感盛り上げまくりなのはなぜ? 私も最初は許せなかったが、いやだなあ、と思っていた A fleur de toi を彼女がテレビで歌ったときに、「案外いい歌じゃない」と思っちゃった(恥)。テレビではさびをちゃんとひとりで歌ったからね。スタジオ録音はこれ、アレンジのまちがいでしょう。日本の歌謡曲のような雰囲気はあるが、日本の歌謡曲ではありえないかな、やっぱり。
さてアルバムタイトルにもなったこの題名はどういう意味なのか。まあ、初心者でもなければだれも「あなたの花」だとは思わないでしょうね。辞書を引くと à fleur de という表現は「~と同じレベル」と出てきます。「どうしても彼のことをあなたと同じくらい愛せない」と歌っているのだから、そういう意味だと考えていいでしょうね。ちょっと検索したところで出てきた記事の題名でおもしろかったのが、Sexisme à fleur de mots というもの。「語のレベルでの性差別」ということでしょうね。しかし、じゃあ「あなたと同じくらい」でいいんだと云ってそれですませたら、「でもどうしてこんな奇妙な表現なのか」ということがわかりません。
フランス人の前で à fleur de? と云って何か単語をつづけさせようとしたら、まちがいなく peau とつづけるでしょう。この à fleur de peau という表現も一筋縄ではいきません。私は知らなかったが「表面的」という意味があるんですね。アラン・レーの言い回し辞典にはこの「表面的」という意味だけが載っています。しかしこの表現は日常的には「神経質」の意味で使われることの方がずっと多いと思います。A fleur de peau という表現を見て「皮の花」と訳してもしょうがないですが、「皮の花」という字面とにらめっこしていると、がらがらにやせているひとは、肌に浮き出た自分の血管を見て「ひょっとしてこれのこと?」と思うかもしれません。発想としてはそういう感じですね。神経が皮一枚のところにあるような非常に神経過敏な状態を云います。
似て非なる表現ながら、この際言及しておきたいのが、fleur bleue というもの。「青い花」ですが、ノヴァーリスではなくて「ロマンチック」なことです。ノヴァーリスはロマン主義だが必ずしも日本語のカタカナことばの「ロマンチック」が意味するものではありません。このフランス語の「青い花」は白馬の王子さまの登場を待つ夢見がちな女の子の感性です。一方で à fleur de peau はどちらかといえばパンク少女の方かな。
ということでヴィタアの à fleur de toi は「あなたと同じくらい」の意味だが、表現としては à fleur de peau のもじりとして感じられます。だってこの悲しい曲が à fleur de peau そのまんまなんですから。案外今どきの米国青春ドラマの感覚があります。ということで、神経衰弱ぎりぎりな女の感じを出して、「あなたぎりぎり」という雰囲気訳を提案。意味は合っているがこの表現の味を無視している「あなたほどには」よりはいいでしょう。雰囲気訳は十個あったら十個捨てろ、という意見のひともいるでしょうが、私はそこまで過激ではありません。(フランス語で同じ意味の表現で置き換えろ、と云う場合には、Au même niveau que toi ということになるでしょう。こちらは当然どんなことをしても「あなたぎりぎり」にはなりませんよ。「あなたと同じくらい」と「あなたぎりぎり」は同じ意味なのか?といぶかしく思っているひとがいるかもしれませんが、意味はちがいます。私は「あなたぎりぎり」がこのフランス語の題名の感じをよく出しているだろうと云っているだけです。)
実は今ヴィタアのアルバムを聴いているのだが(恥)、みんなヒット曲と同じように聞きづらいものなのかと思ったら、アルバムはそんなに悪くないよ(恥)。名前はAがふたつ並んでるから Aaliyah を意識しているのかと思ったら、実際はアリシア・キーズ意識しまくりでした。もっとシングル曲のような恨み節があってもいい気がするが、とかえって物足りなかったりして。最初に「プレリュード」があって、そこでは A fleur de toi, je te respire. と云っているのだが、これもまたわかりにくいですなあ。こっちは「あなたと同じレベル」であるよりはずっと「あなたぎりぎり」なんでしょう。
(フランス人はヴィタアとアを二回発音しませんが、Vitaa と書いているのだから、みえるようにカタカナに転写します。私は「聞こえる派」じゃないんで。)

