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jeudi 17 juillet 2008

悪魔さまざま

 神様に比べると、悪魔のイメージははっきりしません。神様の使いには天使がいるけれど、悪魔にも使いがいるのかしら。「天使か悪魔か」と云うときには、anges ou démons と云います。するとこの démon というのは悪魔の使いなのでしょう。こういった複数いる悪魔の使いの親玉はだれだったかなあ、と考えてみると、そうか、サタン(Satan)というのが親玉か、と思い当ります。この Satan という単語は大文字ではじまって固有名詞扱いだから普通の辞書には載っていなくて、固有名詞辞典の方に載っていたりするのだけれども、だからといって、固有名詞辞典の記述が豊富で役に立つ、ということもないのです。何ものなのかよくわかりません。
 そうか、démon はサタンにとって神様に対する天使のような存在なのか、と思ってみると、それでは diable というのは何ものなのか、と疑問を感じないではいられません。アシェット類義語辞典によると、diable は「人間をあざむこうとする悪意のある超自然的な存在」で、démon は「キリスト教の意味では diable の精神、あるいは複数形で diable の使い、その共犯者である堕天使。複数形の diables はときに肉体をもったものとして現される démons を云う」ということです。それでは単数形の diable というのは Satan のことなのでしょうか。Satan は「diable の名前。神と敵対する地獄の支配者として考えられる」ということです。悪魔の名前には他にもいろいろあります。たとえば Lucifer は「堕天使の傲慢なリーダーとして考えられたサタンの名前」だそうです。ルシファーはサタンと同じものだったんですね。
 現役最重要の歴史学者のひとりロベール・ミュシェンブレッドの著書『悪魔史の試み』の原題は Une histoire du diable です。これを démon に置き換えることはたぶんできないでしょう。複数形にして Une histoire des démons なら可能でしょうが、ちょっとニュアンスがちがいます。Diable は悪魔性があるものを全部ひっくるめて表象できますが、démons はやはり天使と対応する悪の使いの存在のイメージをもっています。
 フランス語源学のなかには「民衆語」、「学者語」、「半学者語」という概念があります。「民衆語」は「口頭で伝えられてきた語」、「学者語」は「書物から借用された古典言語の単語」、「半学者語」は「学者語の影響によって変更を加えられた民衆語、あるいは借用の後に口頭で変化した学者語」を意味します。イメージでいうと、「民衆語」と「学者語」のちがいには、日本語における「和語」と「漢語」と呼ばれるもののちがいと似たようなものがあります。「学者語」の方が「民衆語」よりも具体的な制限された意味合いを示します。「悪魔」を意味する diable と démon については、前者が民衆語で、後者はルネサンス期にギリシア語 daimôn (ラテン語では daemon)からとりいれられた学者語です。17世紀には diable という民衆語が滑稽なものと感じられていたので、démon は「悪魔」を意味する品のいい単語として用いられることになりました。
 このような歴史的な経緯から想像がつくように、diable という単語を含んだ口語表現の数は非常に多いけれども、démon の方はあまり固定化した言い回しのなかでは用いられません。「真昼の悪魔」(démon de midi)はそのあまり数が多くない言い回しのうちのひとつですが、これも聖書からの引用が元になったもので、民衆が口頭でつくりあげてきた表現とはいささか質を異にします。
 「まったく!」というときに Diable! ということは可能ですが、Démon! といっても何の意味もなしません。Diable の方は、いろいろな意味の言い回しのなかで本来の「悪魔」の意味を失っていることがしばしばあります。(Avoir) le diable au corps という表現は「肉体の悪魔をもつ」ではなくて、「超人的なエネルギーをもって働きまわる」ことを意味します。「まるで悪魔にとりつかれたかのようだ」という発想がもともとはあったと考えられますが、ここにいる悪魔は悪を働く悪魔ではなく、ただ超人的な力だけを意味しています。それでもラディゲの小説の題名は『絶倫』ではありません。
 18世紀末フランスのポルノ作家アンドレア・ド・ネルシアの Le Diable au corps という小説では、マラソンのようにセックスに明け暮れるまさに絶倫の登場人物たちがこの「肉体の悪魔」をもっていると云われています。激しさ、エネルギーだけではなく、この小説のなかでこの言い回しはエロチックな価値を背負わされています。レーモン・ラディゲが後にこの表現を、普通に理解される「超人的なエネルギー」という意味とはちがうエロチックな意味で用いたのは、案外ネルシアの小説の影響下だったのかもしれません。もっとも、もしネルシアを読んでいたとしたら、同じ題名の小説は書かなかったのかもしれないとも考えられます。ネルシアには興味があるけれども、まったくラディゲにくわしくない私は事情を知りません。
 アラン・レーの「フランス語表現・言い回し辞典」では、ラディゲの例では corps は chair、diable は désir を意味していると断られています。それでもこの「悪魔」を日本語訳で「欲望」と単純に言い換えることができるでしょうか。アラン・レーの解釈に従うと、この小説の題名は『肉慾』になります。それでも diable は騒ぎたてるものなのですから、日本語でニュアンスを表そうとすると『肉のうずき』という感じになるのではないかと思います。理性によっては支配できない、からだのなかの異質なエネルギーという価値をこの「悪魔」という単語は含意していると考えることができるでしょう。

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